日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

教育漫才を小学校の国語の授業で扱って欲しい!

12月9日(金)に、越谷市立新方小学校へ行ってきました。

教育漫才大会を見るためです。

 

教育漫才は、新方小学校の田畑栄一校長が考案しました。

いわゆる普通の漫才とは違って、2つのルールがあります。

 1 悪口などのマイナスな言葉を使わない

2 蹴ったり殴ったりする行為はしない

このルールが非常に大事で、教育漫才に授業で取り組むと、みんなが普段からこれらを意識して生活するようになり、いじめが起きにくくなるそうです。

 

今回、私が見たのは午後の部で、3年生から6年生の異年齢のコンビまたはトリオ、約10組が体育館のステージ上で教育漫才を披露しました。予選を勝ち抜いた子どもたちです。

すごいのは、ちゃんとプロのお笑い芸人の方が司会をして場を盛り上げてくれて、各コンビまたはトリオが登場するたびに、思わず手拍子したくなるような音楽がかかることです。

こんな演出があるから、子どもが本気になるのでしょうし、「自分もいつかステージに立ちたい」と憧れるのでしょう。

異年齢なので、背の大きい子と小さい子のコンビだったりしますが、小さい子も堂々と台詞を言えていました。

 

ルールがありますし、大人の漫才を見慣れている人には、ネタ的にはちょっと物足りないかもしれませんが、見ている子どもたちには大うけで、体育館で、みんな大きな口を開けて笑っていました。子どもたちが笑う姿を見るのはいいものです。

 

新方小では、「総合的な学習の時間」を使って教育漫才の実践を行っているようですが、私の意見としては、将来、国語の授業で扱えばいいのに、と思っています。

教育漫才は思い付きで行うものではなく、コンビまたはトリオでコミュニケーションをとりながらネタを考え、何度も考え直し、動きや話し方を工夫して、友だちに見てもらって改良し、最終的にみんなの前で表現する、というプロセスがあります。ものすごく頭を使います。

この実践により、生きる上での頭の良さが身に付くと思うのです。それは今回、実際に見て感じたことです。子どもたちはとても反応が良いと感じました。

田畑校長によれば、教育漫才の実践を行うと、結果的に、学力テストの結果がよくなるそうです。

それに、みんなが「(プラスの意味で)おもしろいことはないかな」と、そんなことばかり考えて過ごしていたら、学級がなごやかなムードになりそうです。

もしも日本中の小学校の国語の授業で、子どもがお笑いのネタを考えるようになったら……そんな日が来ればいいなぁと思わずにはいられません。

通常の学級に在籍する小中学生の8.8%が発達障害の可能性

10年ぶりの調査で、通常学級に在籍する発達障害の小中学生の割合が公表されました。

文科省の調査によりますと、通常の学級に在籍する小中学生の8.8%が学習や行動に困難のある、発達障害の可能性があるそうです。

2012年の前回調査から2.3ポイント増えました。10年間で増加しただろうことは、多くの学校関係者が予想していたことです。

35人学級であれば3人ほどの割合となります。小学校だけの数値を見てみますと、10.4%です。つまり、1割です。

 

例えば、こんな教室あるかもしれません(すべてがこうなるわけではないです)。

突然、歩きだす子、大声を出す子、椅子に座っていられなくて寝そべる子がいたりします。「教科書を開きなさい」と先生が何度言っても、開かなかったりします。

このような1割の子どもたちの動きに目を配りつつ、クラス全体の授業を進めるのは大変なことです。障害のある子どもにも、それ以外の大勢の子どもにもきちんと対応しようと思ったら、担任一人では無理だと思います。支援員さんが1人いても、足りないかもしれません。教室から出ていっちゃった子どもを、追いかけないといけないですし。

 

しかし、今、学校は人手不足です。ぎりぎりの人数でまわしていますので、もしも一人の先生が風邪をひいて休んだら……みんなが穴埋めのために大忙しになってしまうため、休みにくいのです。また、一人の先生が産休に入ると、その代わりに教えてくれる講師が見つからないので、ますます忙しくなります。教頭先生が担任のように授業をしている学校もあります。

こうなると、質の高い授業がどうのこうのとか、言っている場合ではありません。そういう現状があります。

 

そもそもなぜこんなにも学校は人手不足なのかというと、各学校に配置する先生の人数の決め方に問題があるからです。

教職員定数という計算式があって、それに則って各学校の先生の数が決められていますが、実際は、各学校は人のやりくりに苦労しています。

本当はこの教職員定数を増やすべきなんですが、長い間、文科省はそれをしなかったので、学校では先生たちが頭を使って、加配の教員なども駆使して、頑張ってピンチをしのいできました。

 

そうすると、国は、今のままでなんとかなっているから、今の人数で大丈夫だろうと考えてしまうのでしょうね。

それだけではなく、財務省は「少子化なんだから、先生の数を減らすべき」と言い出すわけです。

確かに、子どもの数は減っていますし、今後も減っていくでしょう。

しかし、先ほどもご紹介したように、発達障害の子どもたちは増えています。

 

それともうひとつ、大事なのは、今と昔ではめざしている教育が違うことです。

昭和の時代には、子どもはひとくくりにされるのが当たり前で、一人ひとりの意見なんで聞いてもらえませんでした。「こうしなさい」と大人が決めて、それに従うのが「良い子」の姿でした。

これに対して、平成以降の子どもは、「あなたはどうしたいの?」と聞かれて、自分で選んできています。家庭で大事にされて育ってきた子どもたちを、教室でひとくくりにして扱おうとしても、うまくいかないのです。家庭環境にも格差があって、いろんな子どもがいますし。

それはつまり、昔の先生たちの対応と比較した場合、今のほうが非常に手間がかかる、ということですが、「個別最適な学び」をしなさいと、文科省は言っています。過去のような、一方通行の一斉授業をめざしていないのです。一人一人に合った学び方を提案していこうとしています。

このような文科省が目指している教育をしようとしたら、もっと先生の数を増やす必要があります。少なくとも、風邪を引いて休んだ先生がいても、産休の先生がいても、みんながニコニコしていられるような、余裕がなくてはダメだと思います。

 

今の学校では、発達障害の子どもたちが増えて一人一人に丁寧な対応が求められるうえ、個別最適な学びを、少ない人数のままで進めています。

これでは、先生たちは忙しくなる一方でしょう。

 

もちろん、一部の学校は「働き方改革」をビシバシ進めて早く帰っているようですが、校長先生が変わればほとんどの場合、もとに戻ってしまうということは、根本の解決にはならないのです。もっと大きなしくみを変える必要があると思います。

 

やはり、教員の人数を増やす必要があり、それには、財務省の皆様に、学校の現状をわかってほしいと強く思いますが、文科省財務省が違う方向を向いているのが問題なのです。この国はどこに向かうんでしょう……。

 

デジタル化で、学校の先生の役割が変わる……希望的観測

先日、ある医師の記事を読みまして、「これは学校現場にも通じるのではないか」と感じましたので、書いておきます。

記事の内容をざっとまとめますと……。

その医師の専門は、がん治療です。以前は、スーパードクターみたいな人がいて、その人の手術を受けるために全国から患者さんが集まってきたそうです。しかし、今は標準治療というものが確立されて、全国のどこに住んでいても、同じ治療が受けられるようになりました。その結果、スーパードクターは必要なくなりました。お医者さんの役割は、一人一人の患者さんの声に耳を傾け、様々な状況から総合的に判断して、その人に合った治療の選択肢を提案すること、になったそうです。

 

この話は、教育現場に置き換えることができると思うのです。

学校界隈ではずっと、ごく一部のスーパーティーチャーが活躍してきました。優れた授業技術を持っている先生たちで、尊敬されてきました。それは今も続いています。

でも、GIGAスクール構想で、一人一台の端末が配備され、授業の進め方が変わりつつあります。ドリルのソフトなどを使えば、子どもが一人でも学習できるようにもなっています。

今後、デジタル教科書がもっと普及すれば、授業準備にそれほど手間をかけなくても、レベルの高い授業がやりやすくなることでしょう。優れたデジタル教材を使えば、誰でも一定のレベルの授業ができるようになります。

そうなると、次に先生たちに求められる役割は、一人一人の子どもに合った学び方を提案したり、心に寄り添ってやることなのではないでしょうか。一人一人の育ちを見て、課題を見つけ出したり、あるときはほめたりして、よりよい方法を提案していく……。

 

今までは教室という広い場所に、たくさんの子どもを集めて、授業をする必要がありました。だから、スーパーティーチャーが必要でした。大勢の子どもに、一斉にどうやって教えるのかが重要だったのです。

しかし、時代は変わり、文科省は「個別最適な学び」をしましょう、と言っています。その子に合った学び方を大事にしていくことになっています。授業でも、ついていけない子ども放置するのではなく、一人一人をよく見て対応していくことが求められています。

それに加え、経済的に困難を抱えた子どもたち、気持ちが不安定になりがちな子どもたちに寄り添って、「勉強しよう」という気持ちにしてやれるのは、学校の先生だけです。

 

今はもう、時代の転換期に入っているのかもしれません。

これから求められるのは、一斉授業の指導法のスーパーティーチャーではなく、一人一人の子どもの成長を総合的にアシストする先生なのではないでしょうか。

学校の場合は、変化がかなりゆっくりになりますので、教員の世代交代をしながら……になるでしょうが、「子どもの成長を総合的にアシストする先生」という役割が重視されていくのかなと感じています。

不登校児童生徒の増加と「頑張りすぎてしまう」人々

本日のテーマは、不登校です。

令和3年10月13日に文科省が公表した「令和2年度 児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査結果の概要」を見てみますと、小・中学校の不登校児童生徒数は196,127人(前年度181,272人)であり、前年度から14,855人(8.2%)増加しました。小中学校共に不登校児童生徒数は増加傾向が続いていて、8年連続で増加したそうです。

小学校・中学校ともに不登校児童生徒数の割合も増加しています。小学校は平成27年度は0.4%→ 令和2年度は1.0%へ、中学校は平成27年度は2.8%でしたが、令和2年度はなんと、4.1%です。中学校は100人に4人です。

この場合の、不登校児童生徒とは、年度間に30日以上登校しなかった児童生徒のことを指します。その中には「新型コロナウイルスの感染回避」を理由とした長期欠席をした者も含まれています。「新型コロナウイルスの感染回避」のために30日以上登校しなかった児童生徒数は、小学校14,238人、中学校6,667人です。

 

先日、ある中学校の校長先生と話をしました。

その学校では、基本的に、子どもの「できないこと」を指導するのはやめて、それぞれの子どもの良いところ見つけて「ほめる」指導をしています。例えば、遅刻しても怒りません。先生は「頑張って、よく来てくれたね」と言って迎えるのです。

生徒の自治的な活動を尊重するために、先生があれこれ命令することもやめました。行事の運営は生徒に任せています。例えば、体育大会であれば、競技種目を自分たちで決めるところから始めて、生徒たちは当事者意識を持って取り組みます。

 

このように、何事も「管理的」で規則だらけだった昔に比べると、個性を尊重する良い学校になっています。

それでも、不登校は減らないそうです。

何事も積極的に頑張っているように見えた子が、突然、来なくなったりするとか。校長先生も、原因はわからないと言っていました。

 

ここからは、あくまでも私の意見です。

私が思うに、自治的組織になると、「つらい子」がでてくるんじゃないかと思うのです。先生に命令されて動いていたときは、「やりなさい」と言われたことだけを、みんなが同じようにやればよかったわけです。ある意味、それだけやっていれば、安心できたのです。みんな同じだから。

しかし、自治的組織になると、命令がなくなりますので、子どもが考えて自主的に動いていくことになります。つまり、「ここまで」という制限がなくなります。

 

「自分には、これはできるけど、これはできない」と、ちゃんとバランスをとれればいいんですけど、自分の存在意義を周囲に示すために、もっと、もっとと、やりすぎてしまう子、過剰に頑張ってしまう子がでてくるのではないかと思うのです。その結果、疲れ切ってしまい、もう無理……と。

中には、過剰に頑張っても全然平気な子もいて、こういう子どもはそもそもキャパシティが違うわけですが、そんなことは中学生にはわからないので、自分も負けないように頑張ったところ、体が悲鳴をあげてしまった……、ということもあるのではないでしょうか。

 

なぜこんなことを思うのかというと、私の周りにも「過剰に頑張ってしまう人」が何人かいたからです。

例えば、Aさんは、ある趣味の会の雑用を、なんでも引き受けていました。たいていの人は役員を1年やったら、数年間はやらないのですが、Aさんは毎年のようにやっていました。頼まれたらNoと言わず、楽しそうにやっているので、みんなから「いい人」だと絶賛されていました。Aさんは亡くなってしまいましたが……。

 

頑張りすぎてしまう人たちに共通しているのは、「やりすぎている」と、気づいていないことです。健康を害するまで、気づかないことがあります。そして、その根っこには、「頑張ることで、みんなに愛されたい」という思いがあるような気がします。

学校の場合は、「みんなの役に立ちたい」「頑張りたい」という純粋な思いがあって、「みんなに期待されたい」し、「期待に応えたい」のではないかと思います。

 

今後、全国の中学校が、自治的な組織に変わっていくのは大歓迎です。

ただ、生徒が自治的に、主体的に活動している学校でも、先生たちは、生徒たちの様子をよく見ていていただきたいなと思います。

もちろん、子どもが不登校になってしまう理由にはいろいろあります。理由は、子どもによって違うと思いますが、もしも「頑張りすぎている」ように見える生徒がいたら……「頑張るあなたは好きだけど、頑張っていてもいなくても、あなたのことが好きだよ」というようなメッセージを、伝えてあげる必要があるのではないかなと思います。

教員の「働き方改革」が進まない理由…必要なのは団結

小中学校の先生たちは、あれもこれも任されて、本当に大変だと思います。

だから、もう少し待遇の改善を進めてほしいものですが、全然進みません。

何十年もの間、混沌としています。

 

なぜそういうことになっているのか、私が思うに、主張がバラバラすぎるからだと思います。

ある中学校の先生は部活動をなくせといい、その一方で、ある中学校の先生が、いやいや部活動に生きがいを感じている教員もいるんだし、子どもも楽しくやってるし、生徒指導上も部活動は必要だ、というわけです。

授業研究の負担軽減のために小学校も教科担任制にしようと誰かがいうと、それじゃ、子ども一人一人に目が届かなくなると、大反対する人が多数現れます。

 

みんな現状に不満があるにもかかわらず、誰かが何かを変えようとすると大反対が起こってきて、何も進まないのです。

で、文科省に「なんとかしろ」と、なるわけですが、文科省が何か決めたら、大反対しますよね。上から押し付けるのか、管理するのかと。決めなかったら非難され、決めても非難されます。

 

反対するのが悪いわけではありません。それぞれの立場で考えれば、それはそうだろうなとは思います。

がしかし、「子どものために」を根拠に主張を続けていくと、仕事は増え続け、大変なまま時間だけが過ぎていきます。

 

現状の働き方を変えたいとお思いでしたら、団結したほうがいいと思います。

そして、小さい差異には目をつぶって(←これ大事)、「働き方改革」にベクトルをそろえます(もしもベクトルをそろえられないなら、口では不満を言っているけど、現状維持を支持している、ということになるので、ここで終了です……)。

ベクトルをそろえられたら「働き方改革」につながり、なおかつ、子どもたちの健全な育成につながる学校教育とはどんなものなのかを考え、その方法を教員のほうから提案していくのです。

そのために、例えば、「全国教員投票」をしたらどうですか。

とにかく、小さい差異には目をつぶり(←これ大事)、全国の先生たちの意見をまとめてみてはどうでしょう。大事なことは、単にアンケートをとるんじゃなくて、法律の「こことこことここ」をこのように変えてほしいと、はっきりさせることです。

それを国会議員さんたちに持っていくのです。

先生たちが団結すれば、選挙の票につながりますから、国会議員さんももっとやる気になってくれると思います。

 

人に指図してないでお前がやれ、とおっしゃる方がいるかもしれないですが、私は教員ではないので先生たちの支持が得られません。「何を勘違いしているんだ」と冷笑されて終わりです。

やはり、先生たちが組織の内部から動かしていく必要があるんじゃないかと思います。

ただ、「本当に困っている人」というのは、時間的にも、精神的にも余裕がなくて、声が挙げられないものです。本当は、志の高い校長先生たちに、動いてほしいと願っております……。

文科省は、アクセルを踏みながらブレーキを踏んでいる

教員免許更新制度の廃止の話から、いろいろ考えてみました。

 

教員免許更新制の廃止に向け、教育公務員特例法及び教育職員免許法の一部を改正する法律案が2022年2月25日に閣議決定されました。国会で成立すれば、施行期日は7月1日だそうです。

この法案に関連して、今、問題視されてるのは、ただ廃止するのではなくて、その代わりに校内研修をやりなさい、教育委員会は教員の研修履歴を把握しなさい、などと書いてあるからです。

つまり、先生たちは毎日、「トイレに行く暇もないほど忙しい」と言っているのに、負担は全然減りそうもないわけです。

 

なんでこういうことが起こるかというと、文科省は「その道」の専門家の意見を参考にして、方針を決めているからだと思います。

文科省では、たくさんの専門部会をつくって、同時進行でいろいろな議論を進めています。その会議に集められているのは、「その道」の専門家たちです。その結果、どうなるかというと、「その道」だけ考えたときにはベストな意見でまとまるわけです。

 

例えば、「教員の資質向上」という部分だけ考えれば、研修履歴を義務付けて学び続けてもらおうと考えるのは、まっとうな意見だと思います。教員になりたい人がたくさんいて、みんなのんびり働いている時代だったら、これでもいいように思います。

 

ですが、今、求められるのはそういうことではないと思います。

文科省が進めていることを、A群とB群に分けて考えてみます。

A群 GIGAスクール構想、主体的・対話的で深い学び、個別最適な学び、インクルーシブ教育、道徳教育などなど、いろいろあります。全部大事です。

B群 働き方改革に関係すること

 

A群は、文科省が「もっと充実させなさい」と言って、教員にさらなる努力や負担を求めているものです。

そう言っていながら、その一方で、B群は負担を軽減しようとするものです。「働き過ぎだから早く帰りなさい」と言っています。仕事量を減らさずに。

つまり、アクセルをべた踏みしながら、ブレーキを少しだけかけています。

 

文科省に知り合いはいないのですが、申し上げたいのは、全部のこと完璧にやろうとすると、もの凄い負担になってしまう、ということです。

先生たちが普通の市民生活を送るには、国としてやりたいことに優先順位をつける必要があると思います。

今、一番優先しなければいけないのは何でしょうか。

私は、「働き方改革」だと思います。教員になりたい人が減っているし、どんどん辞めてしまっています。忙しすぎると、子ども一人一人をよく見る余裕がなくなります。これは大問題だと思います。

 

B群を優先するとしたら、何を決めるのも「働き方改革」ありきで、A群の負担をいかに軽減するかを検討する必要があり、専門家の皆さんには、それを議論してもらえばいいと思います。

文科省さんに、考えていただきたいのは、「その道」の専門家の意見だけを聞くのではなくて、教育界全体を見ている人の意見も聞く、ということです。

 

そして、「働き方改革」というのは、雑務を減らすとか、勤務時間を短くするとか、そこだけ見ていても解決しません。学級担任制のままでいいのか、特別支援教育をどのように行うのか、そういうことも含めて、総合的に考えていく必要があるはずです。

 

学校のオンライン授業 問題は通信回線

新型コロナウイルスの感染状況が厳しい中で、多くの小中学校は新学期を迎えました。

 

まずは、先生ではない方々に、知っておいていただきたいことです。

ご存じのように、GIGAスクール構想によって、全国のほとんどの小中学校の子どもに一人一台の端末が配備されました。感染拡大を防ぐために、子ども全員が登校する形ではなくて、分散登校にして、クラスの半分の子どもは教室で授業を受け、残りの半分は授業をオンラインで家から見られるようにすればいいじゃないか、と思う方もいると思います。

確かにそれができる学校もあるのでしょう。ですが、ごく一部です。

そうはいかないのが、学校というところです。

理由は、決して、先生たちが無能だから、ではありません。

原因の一つは通信回線です。

 

回線が脆弱なのです。

例えば、どんな感じかといいますと、

校内であっても、35人のクラスがあったとしたら、クラス全員の子どもが一斉につなぐのはまず無理で、誰かが落ちちゃうわけです。全校の子どもが同じ時間につなぐなんてことは、到底できないわけです。ひどいときは、2~3人でもつなげなくなるようです。

クラウドでドリル教材をやろうと思っても、インターネットの渋滞でつなげないそうです。

世間の、企業の人たちが会議をやる時間帯は、インターネットが渋滞してつなげない、とも言われています。

 学校と家をつなぎたくても、つなげるときと、つなげないときがあります。つなげたとしても、常に切れる心配をしないといけないわけですから、これは先生にとっても、子どもにとっても非常にストレスです。うんざりしますよね。

(逆に、家の回線が弱いというケースもあるのではないかと思いますが、まずは学校なので、学校の回線が弱い話にしぼります。)

 

当然、「なんでこんな使えない物を学校に入れたんだ」という話になります。

GIGAスクール構想では、端末の代金を負担するのは国ですが、回線を引く費用は、自治体の負担です。どういう工事をするのか、判断するのは自治体であり、つまり、教育委員会の担当者です。

うまくいかなかった原因は、だいたいこんな感じじゃないかと、今までに複数の関係者から聞いた話を元に、勝手に推測してみました。

自治体が回線の費用をケチった場合もあります。議会で予算が承認されないといけないですからね。議会が「ICTなんて学校にはいらない」と考えているおじいさん議員ばかりですと、そうなる可能性はありますよね。

教育長さんの考え方次第、というところもあります。GIGAスクール構想はベテラン教員には不評です。仕事のやり方が大きく変わり、ベテランが若手から教えてもらわなくてはならないからです。先生というのは、人に物を教えるのは好きですが、「人の話を聴くことは嫌い」な人が多いようです。ベテラン代表みたいな発想をしている教育長さんだと、回線のことなんか気にしていないかもしれません。だから、何も指示を出さないわけです。

子どもの未来にとって何が大事なのかを理解している教育長さんは、どこにお金をかけるべきなのかがわかっていますから、的確な指示をしてくださいますが、ICTに興味がない方の場合は、のような、よくわかってない担当者に任せきりになるわけです。

市の教育委員会の担当者がITに詳しくなくて、どんな使い方をするのかの見通しが甘かった可能性があります。ITのことがよくわかってないので、業者が出してきた提案と見積もりを見て費用が高いか、安いか、という基準で判断し、使いにくいものになっちゃったと、そういうことが考えられます。

市の教育委員会の担当者がITのことが全然わからなくて、業者もITのことがよくわからなくて変な具合になっている、というケースもありそうです。(例えば、昔から学校に出入りしている、紙の教材会社に発注したケースもあるそうで、何をすればいいのかその業者もよくわかっていない状態で、そこからさらに地域の電気屋さんに工事を発注したりするんだそうです。)

あくまでも、勝手な推測ですが……。

 

ここからは、先生方にぜひ、お伝えしたいことです。

ここであきらめてはいけないと思うのです。

1人1台の端末の活用は、まだ始まったばかりです。

何か新しいことを始めたとき、最初から、すべてがうまくいくわけではないでしょう。

不具合が見つかったら、少しずつ修正していけばいいのです。

あのICT先進地域として知られる戸田市の小学校でも、「3クラスに1クラス分」のときはうまくいってましたが、1人1台になったので、確か昨年度だったか、回線の補強工事をしたと言っていましたよ。

今、必要なのは、回線の補強工事です。

 

の場合は、先生たちが声を上げていくしかないと思います。このままの状態で、だましだまし、画面共有をしないとか、つなぐ人数を制限するとか、使う時間帯をずらすとか、負荷を軽くする裏ワザを駆使してなんとか持ちこたえる……ことは可能なのかもしれませんが、根本の解決にならないばかりか、「今のままで、できるならそれでいいじゃないか」と思われて、放置されてしまいます。根本の問題である回線の補強工事をしてもらうように、教育委員会へ、地元の議員さんへ、教育長へ、保護者も巻き込んで訴えていく必要があるように思います。

先生たちの世界は「出る杭は打たれる」ので、今迄ずっと、おとなしくなさっておられたと思うのですが、そういうのはそろそろやめたほうがいいのではないでしょうか。職員室で愚痴を言い合っていても、事態は何も変わらないからです。むしろ、従順に、耐え忍んでいると、時代から取り残されますし、「教員は無能だ」と誤解され、状況は一層厳しくなるばかりです。必要なことは、先生たちの声を集めて、きちんと要求していかないと……そんなふうに思います。

もしも今後、コロナで学級閉鎖、学校閉鎖になったり、あるいは、自然災害で授業ができなくなったとき、隣の町では子どもが一人一台を駆使してオンラインでスイスイ授業を進めていくのに、うちの町では授業ができないので、ひたすら家で紙のドリルをやってますと、そういうことが起こってくるでしょう。これが続くとどんどん差が付きますよと、保護者にも訴えていってみてはどうでしょう。

については、教育委員会の担当者は詳しくなくても、どこの市、あるいは町にも、ICTに詳しい先生方が必ずいるものです。間違いなく。市内の詳しい先生たちがつながって委員会をつくり、教育委員会の担当者を批判するのではなくて、こういうのが必要なんですと、提案してみてはどうでしょうか。

愛知県の春日井市では、そういう感じで進めていますよ。だから、現場にとって使いやすいものになっています。

また、近隣にGIGAスクール構想を、きちんと進めている市や町があるのなら、そこに教えてもらったり相談したりして真似をする、という方法もあります。「各市や町が、自分たちで、すべてのことをイチから考えなくてもいいんですよ」と某大学教授もおっしゃっていました。もっと使いやすくするために、近隣の地域に相談してみるという選択肢もあると、教育委員会の担当者に提案してみてはいかがでしょうか。

某大学教授によりますと、本当は、人材不足などで、自分たちで考えるのが難しい自治体をまとめる役割を、県教委に担ってもらい、共同で発注などを行ってほしいところだったそうですが、そういう役割を果たしている県は少ないそうです。

 

そんなわけで、今、「回線はどうにもならない」と悲観的になっている先生たちが多いことと思いますが、先生たちにできることはあります。

使いにくい物を我慢して使い続けるのではなく、どこをどう変えてほしいのか、きちんと発言して、使いやすいものに少しずつ変えていった方がいいと思うのです。そのために勇気を出して、何らかの行動を起こしてみてはいかがですか。

なんたって学校や教育委員会という組織は、何十年もの間、がっちり固まってきましたからね。そこに新しい風を吹き込むのには、手間がかかると思います。一度言ったぐらいでは全然相手にされないかもしれません。それでもあきらめずに、改善に取り組んでみてくださいね。

回線の補強工事が実現することを祈っております!