日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

記事にしなかったこと① ある中学校が学力向上した理由

取材に行くときは、テーマがあります。校長先生などと話している中で、すごく興味深い話がでてきても、テーマから外れたことは記事にできないんです。それはもったいないので、書いておくことにします。

 

これは、学力が市内で下位→上位へと変わっていった中学校の話です。

この校長先生は、正確には元校長です。

私がお会いしたのは、定年退職してから1年目のときでした。

 

普通、学校の学力を向上させようと思ったら、勉強させると思います。

毎朝ドリルをやらせるとか、宿題もがんがん出して、宿題をやってこない生徒がいたら居残りでやらせるとか。

でも、この学校はそれをしたのではないんですね。

まず、生徒を落ち着かせたのです。

この学校は、風紀がいいとは言えなかったんですね。がちゃがちゃしていたそうです。

 

そのためにしたのは、たとえば、無言清掃。「黙って掃除をする」ってシンプルなことなんですけど、最近取り入れる学校が増えています。

それから、時間厳守の徹底。

きちんとできた生徒を先生たちが評価すると、生徒は「こうするのがいいんだ」とわかるんですね。

朝の読書。しーんとした教室で本を読み、落ち着いた雰囲気の中で一時間目の授業に入っていくわけですね。

 

落ち着いた環境に身を置くと、それが子どもにとって安心感になっていくのだそうです。

安心感があると、少しは勉強しようか、という気持ちになるんでしょう。

「 どんなに下手な先生の授業でも、座って聞いていれば、学力は上がる」というのがその元校長先生のお考えで、実際にその学校は学力調査の成績が少しずつ上がっていったのです。

 

ここへきて、やっと先生たちの出番です。

生徒たちが授業をを聞いてくれるようになると、先生たちも授業をしっかりをやらなきゃと思うんですね。もともと先生たちは、人に物を教えるのが好きですからね。

それで、熱心に授業研究を始めるわけです。

先生たちがいい授業をして、生徒たちもそれによってますます成績が上がる、そういうプラスのサイクルが回りだしたということでしょう。

 

 もちろん、この学校にも問題行動をする生徒は少数ですがいて、学校が落ち着くとその生徒たちは、学校にこなくなったそうです。

みんながまじめに勉強し始めると、一緒に騒いでくれないので、学校に来てもおもしろくないからです。

もちろん、このような生徒たちに対しては、家庭訪問をしたり、夏休みに補講をしたり、いろいろなケアをしたそうですけどね。

 

不登校の生徒がでてしまったことに関しては評価が分かれるところだと思いますが、それでも結果としてこの学校は学力が向上したのです。

こんな学校もあるということで。

お昼の「バイキング」という番組で。

たまたま昼に、「バイキング」というテレビ番組を見ました。

なぜか、教育問題を扱っていたからです。

最初に元中学校の先生だった男性がでてきて、「毎日の部活動が負担で、休日もなくて、しかも無給である」と紹介され、スタジオが「それは大変だな~。時給を払ってもいいのでは」というムードになりました。

それはその通りだと思います。

で、しばらくたって出てきたのは、菊池省三先生です。ほめ言葉のシャワーの実践と成長ノートが紹介されました。

 

私が気になったのは、成長ノートの紹介の言葉。

「(子ども一人一人のノートに)コメントを書くのに10時間かかることもある」みたいなことを言っていたんです。それは丁寧で、素晴らしいことですよね。

過去のNHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」の放送の中でも、菊池先生は、「放課後や休日に成長ノートを読み返して、一人ひとりに丁寧な返事を書く」というようなことをおっしゃられています…。

あれ~?

つまり、一流の先生は文句も言わず、時間外労働をすすんでしているということ、ですよね。

一流の先生は時間外労働するのかー、ここまでするのか、すごいな、さすがだな、と思った視聴者もいるのではないでしょうか。

そうすると、さっき部活動が大変だって言ってた元先生は…?

なんか、話がこんがらがってきますよね。

変な紹介のしかたをしたもんですね。

 

結局、日本の教育現場は教員の良心というか、善意というか、ボランティア精神というか、そのようなものがあるから成り立っていて、それを世間は讃えるわけです。

実際に負担だと思いながらも日々の業務、部活動をこなしている先生は、たくさんいますしね。

それじゃあ、変わっていかないはずですよねー。

今後の教育現場のことを考えたら、一流の先生ほど業務時間内できっちり仕事を終わらせていただかないと~という気がしますが、いかがでしょうか。

教員におすすめ『幸せになる勇気』

『幸せになる勇気』(岸見一郎、古賀史健著、ダイヤモンド社)を読みました。

この本は、『嫌われる勇気』の後のお話です。青年は教師になり、アドラーの教えである、「ほめない、叱らない」をクラスで実践したところ、荒れてしまい、再び哲人のもとをたずねる、というところから始まります。

タイトルだけ見ると、世の中の多くの人が幸せになるためのノウハウ本なのかな、という気がしないでもないですが…、この本を読んで、一番得るものが大きいのは、若手教員だろうと思います。

もちろん、学級経営がうまく行っている先生には不用だと思いますよ。

そうじゃなくて、自分は頑張っているのに、常に問題行動を起こす子どもがいて、クラスが落ち着かなくて、困っている若い先生たちは、読んでみる価値があるんじゃないでしょうか。

 

物語は哲人と青年の対話という形で進んでいきます。

青年の血気盛んな、すぐかっとなる態度は、痛快です。普通はあそこまでストレートに、失礼なことを言えませんからね。そこがこの本のおもしろいところです。

でも、青年はじつにいいところをついていると思います。

 

私は以前、アドラー心理学を学校経営に取り入れている小学校に取材にいったことがあります。その時、ある若い女性教員から、「問題行動を起こす児童に振り回されて困っていたけど、アドラー心理学を知って救われた」という話を聞いたのです。一人の問題行動を起こす児童がいて、その子に先生が対応していると、他の子どももどんどん荒れてくるという悪循環にはまっていたそうなんですが、その女性教員を救ったのは、まさにこの本にでてくる「問題行動の5つの段階」です。これを知ってるのと知らないのでは、対応が変わってくると思うんですよ。

ただし、この本では、その先、実際に教室で子どもにどうしなさい、とまでは書いてないんですよ。そこは自分で考えなさいということなんでしょう。

 

哲人は青年に、大事なのは子どもへの「尊敬」だというのです。

それで思い出したのは、以前、「学びの共同体」の授業を見せてもらったときのことです。確か小学4年生の国語の授業だったと思うんですけど、クラスがとてもしっとりとして、落ち着いていました。 私が取材に行くぐらいですから、ものすごくいいクラスですけどね。先生は、子どものつぶやきを拾って、ひとつひとつ大事にします。たとえ少々的外れの発言であっても。クラスの子どもたちは授業に集中しています。友達の話をよく聞いて、そして、自分も発言し、思いを書き…そんなクラスでした。一言でいうなら、大人っぽいんですよ。

だから、「尊敬」されると、もしかしたら、子どもはこんなふうになるのかな、と私はイメージしながら読んでいました。

 

おそらく、読む人によって、この本を読んでピンとくる箇所はちがうんじゃないかと思います。私にも、個人的に「愛」に関して、イタタタと感じる部分が多々ありましたし。

 

アドラー心理学の「ほめない、叱らない」に関しては、青年は勘違いしていたことに気づきます。キーワードは「自立」です。そこまで考えて子どもに接しないといけない、ということなんですね。

 

アドラー心理学を左翼的だと言う人もいます。個人を尊重する心理学ですからね。学校教育にふさわしくないんじゃないかと…。その発想も理解できます。だから、すべての教員にはすすめません。

でも、もしも今現在、クラスの雰囲気がよくない、問題行動をする子供に手を焼いている先生がおられましたら、読んでみる価値はあると思います。自分が変わるためのヒントになるんじゃないかと思います。

いじめを考える②きゅうりの話

 先日、イタリアで暮らしていたことがある、という人から話を聞く機会がありまして、ちょっと興味深いことを聞きました。

その方いわく、「イタリアでは、きゅうりは量り売りなのよ。大きいのも小さいのも曲がってるのも、どんと売場に置かれていて、自分の好きなのを選んで買うの。一人暮らしとかで、少しだけ食べたい人は小さいのを選んだりするのよ」と。

現地の人たちは、見た目よりも、残留農薬のほうを気にするそうです。だから、まっすぐでなくてもあまり気にしないで買っていくんだそうです。

 

日本のスーパーのきゅうりは、というと、まっすぐで、長さがそろったものがきれいに袋づめされています。

それ以外のもの……基準よりも短かったり、細かったり、曲がっていたりするものは売場には出てきません。それは、商品価値が低いということを意味します。

それが当たり前になっていて、誰も疑問を感じていませんけど、「こうじゃなきゃいけない」の基準がこの国は厳しいってことだと思います。

 

しかも、「こうじゃなきゃダメ」の刷り込みが、スーパーのような日常的な場面で幼少期から行われているということです。

多様性が大事と、みんな頭ではわかっているけれど、実際にスーパーへ行ったら、形のいいのを選んでしまうわけで。

もしも親が子どもに「きゅうりを買ってきて」と頼んだとして、子どもが曲がったきゅうりを買って帰ってきたら、親は「こんな曲がったの買ってこないでよ」というに違いありません。

これはつまり、多様性を社会が認めていないってことではないでしょうか。

 

「たかがきゅうりのことで大げさだ」といわれるかもしれませんが、日本のスーパーでも野菜の量り売りをしたらどうでしょうか。

長い時間がかかることですが、そういう意識から変えていかないと、多様性を生かした社会の実現は難しいんじゃないかと思いますし、誰かを仲間はずれにする子どもたちを、責められないような気がします。

 

組体操の規制について

運動会の組体操に関して、動きがあったようです。

組体操中の事故が最近は新聞などで取り上げられていましたが、これまでは学校の判断に任されていました。ところが、馳文科大臣が「文部科学省として取り組まなければいけない」と回答したそうです。

 

組体操の事故というのは、昔からたまに起こるものであって、学校ではよくある不幸な出来事の一つとして片づけられていました。学校関係者は全然問題視していなかったのです。

それを、「これは問題ですよ。放っておいちゃダメでしょ」的に、みんなが気づいていない問題に気づかせた人が、名古屋大学の内田良准教授です。

私は昨年、取材でお会いしました。

内田准教授のお話は、理路整然としていて、突っ込みどころがありません。おっしゃる通り、としか言えないぐらい、ものすごく納得しました。

付け加えておくと、内田准教授は鋭い切り口の文章をお書きになりますが、実際の話し方はソフトで、好青年というムードの素敵な方なんですよ。女子大生に人気があるんじゃないでしょうか……。そんな感じの方です。

 

組体操に話を戻しますと……。

組体操にもいろいろな技がありますが、問題になってるのは大ピラミッドです。

「昨年は7段だったから、今年は8段にチャレンジしよう」とか、どんどん目標設定を上げていってしまった学校もあるようです。その結果、下の段の子どもの負担が重くなり、「それに耐えなければならない」みたいなムードになり、不平不満を言うと叱られるという、ちょっと変な方向に進化してしまったかなという気がします。誰かがブレーキをかけないといけないことだったと思います。

 

 大ピラミッドに関しては、「これが正しいやり方です」的な、全国共通の、決定版的なマニュアルがない、というのも問題の一つなんじゃないかと思います。組むときの腕の向きをどうするかなど、本によって書いてあることが違ったりするのです。

 

組体操の研修会が全国では開催されていますから、そういう場に行ったりして、ちゃんと研究してから取り組む先生もいると思います。しかし、ウェブの動画を見て、見よう見まねでなんとなくやってる先生もいらっしゃるようで……。

 

多くの学校がやってるんですから、大ピラミッドをやることの意味やメリットはもちろん、あるんだろうと思います。

目標に向かってみんなで頑張る経験をすることは、大事なことだとは思いますが、大ピラミッドじゃなくても、その経験はできるんじゃないでしょうか。

危ないものをなんでも排除すればいいとは思ってませんが、やるなら、もっと科学的に検討するべきではないでしょうか。

後遺症が残るようなケガを子どもにさせないでほしいものです。

新たに不登校になった子どもが6万5000人

朝日新聞によりますと、

2014年度のデータでは全小中学生は1012万736人いて、そのうち不登校は12万2902人。さらに詳しくみると前の年から不登校状態を継続している人が5万7095人、2014年から新たに不登校になった「新規」は6万5807人だそうです。

一年でこんなにも増えてしまったということですね……。

 

以前、不登校の児童生徒の支援を行っている方にお会いしたことがあります。

不登校の理由にはいろいろあるようです。

いじめが原因の子もいれば、ほんの些細なことがきっかけで不登校になってしまう子もいて、本当にいろいろ……。

それこそ、不登校の子どもの数だけ……。

そして、個々の子どもに合わせて、支援対策もいろいろです……。

 

学校へ無理して行かなくていい、という意見もあります。

それも一理あると思います。

学校というシステムと相性がよくなくて、不登校になったとしても、大人になって社会に出ていけるならいいんだと思うんです。

 

問題は不登校からひきこもりになって、そのまま大人になってしまう人たちだそうです。

社会とまったく接点をもたないまま、ずっと家で過ごしてしまった40代の人たちが、けっこういらっしゃるとか。

「この40代の人たちが外に出られるように、もっと若い時期に支援が必要だったんじゃないか」とその専門家の方はおっしゃっておられました……。

40代になって、さぁ、今から外に出なさいと言われても……ハードルが高いですよね。

つまり、不登校の子どもの将来のことを考えたら、嫌なら学校に行かなくていい、とただ放っておいちゃダメってことです。

不登校になったとしても社会に出る練習をしていかないと……。

 

最初のデータの話に戻りますけど、新規が6万5000人です。

不登校になってしまった子を復学させるのはものすごく大変だそうですよ。いろんなものがからみあっているから。

だから、不登校を防がなくちゃいけないってことです。

 

やっぱり、学校は楽しくないと。

もちろん、「楽(らく)」とは違いますよ。

思い通りにならないこともあるし、頭にくることもある、プレッシャーもあるけど、友達がいて、楽しい、みたいな。

勉強ができてもできなくても、運動が得意でも苦手でも、クラスの中に居場所があるってことが大事、なんじゃないでしょうか。

先生たちには、学級経営を頑張っていただきたいなぁ~なんて思っています。

学級崩壊の原因

学級崩壊は珍しいものではなくなっています。

これは学校の先生からよく聞くことですが……、若い先生のクラスでも、ベテランの先生でも起きているようです。

 

若い先生の場合は経験不足、知識不足な場合が多いそうです。

それは理解できますよね。

だから、若い先生は先輩に相談したり、民間の研究会に参加したり、本を読んだりして勉強しつつ、経験を積んでいけばいいわけです。

 

ベテランの場合はどうかというと、何十年もの教員生活の中で蓄積された経験と勘が邪魔になっていると……。

その先生のご経験と勘が実情にマッチしていた時期もあったことでしょう。

しかし、もしも今、クラスがぎくしゃくしているとしたら、経験と勘が、クラスの現実とずれてしまったということです。

そうなったら、もう経験と勘に頼るのを止めて……なんて書くと、自分のしてきたことがすべて否定されているかのように感じてしまう方もいるかもしれませんが。

過去を否定するつもりはありません。

ただ単に、今の子どもたちの置かれた環境、考え方が時代の変化とともに変わったということでしょう。

教育は「子どものため」にあります。

ですから、経験や勘にたよりすぎず、今の子ども、今の保護者に合わせた指導をしていただく必要があるように思います。

特別支援教育などは、この5年ぐらいでかなり研究が進みましたからね。

 今あるものだけで勝負するのではなく、新しいものを取り入れていくことも、必要ではないでしょうか。

定年を迎えるその日まで。

年を取ると勉強するのが億劫になってしまうものだとは思いますが、日々勉強し続けないと……だと思います。

 

教員でもない部外者が、何をえらそうなことを言ってるんだと叱られそうです。

生意気言って申し訳ございません。

でも、子どもたちのために学級崩壊は避けていただきたい、それが切なる願いです。