日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

藤原和博さんの「必ず食える1%の人になる方法」

藤原和博さんの本「必ず食える1%の人になる方法」を読みました。

この本では、4つの生き方を紹介しています。

A 社長タイプ 経済的価値(給料、年収、お金)を重視し、権力志向。

B 自営業タイプ 経済的価値を重視し、プロ(独立)志向。

C 公務員タイプ 経済以外の価値(社会貢献、家族、友達、個人的な活動)を重視し、権力志向。

D 研究者タイプ 経済以外の価値を重視し、プロ(独立)志向

この4つの中のどれをめざすかで、やるべきことが変わってくる、というお話です。

私はなるほどな~と納得しました。

この本に書いてあることを、もっと若いころに知っていたら、私はもっと人生を楽にわたっていけたかもしれません……。

 

「自分はBをめざしてるから、飲み会は時間の無駄だから行かない」などと、わりきれるからです。

例えば、Bを目指しているなら、孤独になるのはしょうがない、Dを目指せば貧乏になるのはしょうがない、とはっきり書いてあります。

でも実際は、Bを目指しているのに、孤独になりたくないと思って、誘われた飲み会に出かけて時間を無駄にし、好きなことしかしたくないと思って、収益につながるチャンスを逃し……というような行動をしてしまうわけです。だから、中途半端になってしまうという……。

あれもこれも求めないで、わりきることって大事なのかもしれないですね。

まぁ、それが簡単にできないのが、おそらく人間の弱さでもあるわけですが……。

 

この4つの分け方は人生を考えるうえで、非常に参考になります。

中学校のキャリア教育で、こういうことを教えてあげたらいいような気がします。

そうすれば自分が今、何をすればいいのかが明らかになり、横道にそれなくて済むんじゃないでしょうか。

でも、無理でしょうね。

こういう打算的な考え方は学校では好かれない気がします……。

うそつきな大人たちと道徳教育

連日、テレビでうそつきな大人たちの様子が報道されています。

間違いなく、誰かがうそをついています。

堂々と。

仲間と示し合わせて。

 

それなのに、同じ口で、学校には「道徳教育をちゃんとしろ」というんですよ。

自分たちのほうがモラルがないのに。

 

ずるい大人が一定数いるのはしょうがないことだとは思うんですよ。

大人たちは場面によって、うそを使いわけることもあります。

私だって…例えば、仕事があるとうそをついて面倒な飲み会のお誘いを断ったりすることもあります。

だけどね、私のような小市民のうそが許されるのは、きわめて個人的なことだからです。

 

文科省のお役人にだけは、うそをついてほしくないと私は思ってしまうんですよ。

なんたって、全国の学校、教員を指導する立場なんですからね。

まっとうな大人が文科省で働いていると思いたいじゃないですか。

 

情報公開の時代ですからね。

昔のように、簡単にごまかせなくなっています。

 

国会の答弁の映像が、テレビのワイドショーでも使われますからね。

それらを見て感じるのは、道徳で教える思いやりより、善悪は無視して要領よく生きることのほうが大事なんだ、ということです。

全国の子どもも、その保護者も、みんなが見ていますよ~。

「希望の塾」とエドはるみさん

実は私、小池百合子さんが主宰する「希望の塾」の一期生でした。

塾の公式の活動は月1回、えらい人の講演を聞くだけでしたけど……。

(その話はまた後で。)

 

年末の講演会場で、エドはるみさんを見かけたのです。

ライザップ前だったので、びっくりするぐらい太ってらっしゃいましたよ。

本当に。一言でいうなら「太い」。

芸能人が、私より太っているとは…と、かなり驚きました。

 

てっきり、ライザップの効果をあげるためにわざと太って、痩せて、広告で認知度アップをはかり、都議選に出馬~という流れかと思っていました。

 

結局、「希望の塾」側がマスコミに情報を提供していたので、最初からマスコミの取材に応じていた人の中から、けっこう高い確率で立候補者が出ていると思われます。

エドはるみさんの名前は最初から挙がっていたので、立候補するのかと思っていたんですが、このヨミははずれたようです。

その分、元民進党の人が多いみたいですね……つまり、政治を仕事にしている人が移動しただけで、顔ぶれは全然フレッシュではないという……。

福岡県で技術や美術の教員が不足。

西日本新聞によりますと、

福岡県内の複数の中学校で、技術や美術の教員がゼロのまま新学期を迎えたそうです。小規模校の場合、担当するコマ数が少ないため、非正規雇用で済ませようとしたから、なり手がいないと。

 

これはいい傾向だと思います。

子どもたちのために、という理由で、非正規雇用で我慢するような人がいないほうがいいと思うからです。

もしも我慢する人がいたら、これでいいんだということになり、ちっとも改善されませんからね。

 

時給で、週に何回かだけ授業をして、それで生活できるわけがないじゃないですか。

簡単にクビにできるし、雇用する側としては楽なんでしょうけど。

そんな条件で働く人がいると思っているところが、感覚がずれていますよ。

あっ、子育て中の女性なら…とか考えていたのかもしれませんね。

甘い。

いまや学校は、魅力的な職場じゃないんですって。

むしろ面倒くさくて、避けられる職種です。

 

だいたいね、県教委の方、ご自分はその条件で働きますか?

若い人たちに、ものすごく酷なことを要求しているってことに気づいてください。

なんでもコスト削減すればいいってもんじゃないですよ。

安易に民間企業のやりかたを導入するのはおやめください。

 

そもそも、美術とか、技術って「非正規でいいや」的な教科なんですかね。

国学力・学習調査の科目じゃないからって、この扱いはなんだかなぁ~、な感じですね。

こんなことしてたら、きっと、福岡県からは今後、天才アーティストも、天才プログラマーも生まれませんよ。

 

ちゃんと正規で雇って、優秀な教員に育てていただきたいものです。

近隣の何校かをかけもちで指導してもらうとか、生中継をして複数の学校で同時に授業をするとか、専門教員の授業を録画して、それを見ながら担任が授業をするとか、方法はいろいろあるんじゃないでしょうか。

いじめを認めない市教委。

取手市教委の態度が問題になっております。

女子中学生の自死がなぜ起こったのか、第三者委員会までつくって調査したのに、その原因にいじめがあったと認めなかったと。

それが、文科省からの鶴の一声で認めたと。

 

これは取手市教委に限ったことではないと思います。

どこの市教委も「いじめがあった」と認めたがりません。

理由の一つは、「損害賠償に備えて」ってことだと思われます。

今は、もしもご遺族が訴訟を起こした場合、1人あたりだいたい1億円ぐらい支払うことになるそうです。

誰が払うかっていうと、学校の設置者である市です。

つまり、税金から。

市としては、これは避けたいのが本音ではないでしょうか。

 

それから、もう一つの理由は、教育委員会と学校の組織の問題です。

教育委員会も学校も、みんな身内です。

内部の人間(教員、子ども)を守る方向に、団結して大きな力が働くんですよね。

 

教育委員会の方も、学校の先生たちも、会ってみるとみんな良い人たちです。

取手市教委の人たちもいじわるをしているつもりはないんですよね、きっと。

ただ、善人であるがゆえに、ひとたび事件が起こると、たとえいじめていた子であっても、子どもを守らなくちゃ、いじめに気付かない先生がいてもそれはしょうがないから、先生も守らなくちゃ、誰も傷つかないようにしようと、そういう方向に考えるようです。

教委にしてみれば、悪いのはいじめた子であって、先生のせいじゃない。学校のせいでもない。いじめは巧妙に行われるから、先生が気づかないこともあると。

そして、いじめた子も大事な生徒だから、守らなくちゃ。教育しなくちゃと。

 

その結果、誰のせいでもない感じになります。

そして、客観的であろうとして……いろんな事実に基づいて正確に言わなくちゃと思うあまり、「いじめとは断定できない」と言ってしまうんですよ。

そりゃ、あれもこれも、考えたら原因なんかいくらでも考えられますからね。

原因は一つじゃないだろうから、断定できないと、そういう論法です。

その感覚がご遺族、多くの保護者、テレビの視聴者とずれているわけですが、市教委は弁護士さんのアドバイスを受け、大真面目に、事実を正確に言ってるつもりだと思います。

弁護士さんは損害賠償を念頭に置いてますから、断定しないように、と当然いうでしょうよ。

 

でもね、その学校に通う子どもが自死してしまった時点で、アウトです。

問題があったんですよ。

そのクラスの子にも、担任にも、学校にも、教育委員会にも。そして、学校の設置者である市にも。

誰も傷つかないように……なんていうのは無理なんですって。

昔だったら、なんとなくぼんやりしたままでも逃げ切れましたが、今の時代は無理です。

情報公開の時代です。

だから、自死してしまった子がいる以上、非があると認めないとね。

 

つまり、絶対に、子どもを自死させてはいけないということです。

 

では、自死を防ぐには、いじめをなくすにはどうしたらいいのか……。

例えば、クラス担任を1人ではなくて、2人か3人にしたらいいと思います。

(財源はどうするんだ、という話は横に置いて…)

1人は教員、もうひとりはカウンセラーとか、とにかく人の心の動きに敏感な人にするわけです。そして、違いを認め合うような、子どもが話しやすいようなクラスをつくること、それが大事だと思います。

現在のように担任1人では、その担任が人の気持ちに敏感でないタイプの場合、いじめは見つけられないと思うからです。

世の中を変えたくなったら…ロビイ活動のしかた

先日、ロビイングのセミナーに行ってきました。

国にお願いしたいことができたときのために、知っておいた方がいいと思いまして。

講師は、国会議員の現役の秘書さんです。

 

世の中を変えるにはどうしたらいいのかといいますと……。

 

①まず、ターゲットとなる国会議員を決めます。自分のお願いに関連する分野の専門家といわれている人がいいようです。どの分野にも専門家の議員がいるそうです。

それと、どの政党の国会議員にするか、も大事です。政策にからめて、この問題を熱心に扱ってくれそうな政党を選ばないといけません。

 

ターゲットとなる国会議員を決めたら、会いにいって、お願いを聞いてもらわなくては始まりません。しかし、当然、いきなり出かけていっても会ってもらえません。

ものには順序というものがあり、国会議員に会いたいときに有効なのは「紹介」なんだそうです。

②そんなわけで、その議員にたどりつくための「紹介」の道筋を考えます。

例えば、Aさんという国会議員に会いたい場合、Aさんと同じ党の、自分の身近にいる市議会議員Bさんに近づきます。そして、自分が何をしたいのかを熱く話し、Bさんに味方になってもらって県会議員Cさんを紹介してもらいます。次に、県会議員のCさんのもとへいき、何をしたいのかを熱く語り、味方になってもらって国会議員のAさんを紹介してもらうのです。

 

「紹介」の道筋を通っていよいよ国会議員さんと面談となるわけですが、事前にアポをとっても、面談の場にご本人が出てこないこともあります。秘書さんかもしれません。

秘書さんはこちらが用意した資料を受け取り、一応、話を聞いてくれるでしょうが、その後、対応してもらえるかどうかはわかりません。放置される可能性が高いそうです。各議員のところには、各業界団体、地元の後援会などから常にたくさんのお願いが持ち込まれるからです。

③議員の票集めに協力できる方法はないかを考えます。

たくさん持ち込まれるお願いの中から、議員に選んでもらって対応してもらうためには、優先順位の上位の人にならなければいけません。上位の人というのは、その議員の後援会の幹部やバックに巨大な組織がある人です。

つまり、「こうするのが世の中のためです。お願いします」みたいに個人がお願いしたところで、おそらく無理だということ。

自分は票集めにどんな形で協力できるのか、それを考えておく必要があります。

要するに、ギブ&テイクが成立しないと動いてもらうのは難しいのです。

当たり前のことながら、票につながらないと、動いてもらえません。

だから、自分ひとりで突っ走るのではなく、例えば、同じ問題意識を持つ仲間を集め、組織として活動するとか、あるいは、主張に賛成してくれる団体をたくさん集めるとか、したほうがよさそうです。

 

 ただし、これがすべてではありません。

マスコミなどで頻繁に取り上げられていて、世間で問題視されているテーマで、本当に、すぐにでも世の中のためになんとかしたほうがいいことが明らかであれば、見返りは求めずに議員が動いてくれる可能性もある、とのことです。

 

だから、やってみなくちゃわからない! ということです。

教職員の働き方改革、ネット署名が始まる

教員の長時間労働の縮減に向けて、かなりうれしい、新たな動きが出てきました。

大学教授や過労死遺族などが「教職員の働き方改革推進プロジェクト」という団体をつくり、5月1日から、「教職員の時間外労働にも上限規制を設けて下さい!」に賛同を求めるインターネット署名を始めたそうです。

6月に文部科学相厚生労働相に提出する予定で、最終的には20万人の署名を目指しているとか。

 呼び掛け人として、教育評論家の尾木直樹さんなど14人のお名前が挙がっています。このラインナップを見る限り、これはかなり強力というか、行動力に期待できるのではないでしょうか。私がお会いしたことがある名古屋大准教授の内田良先生、明星大学教授の樋口修資先生、東京大学教授の本田由紀先生も入っています。

 

署名は「change.org(チェンジ・ドット・オーグ)」のサイトで受け付けています。