日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

教員を大量採用すると、かえって忙しくなるらしい。

あるサイトで、私がお会いしたことのあるイケメン先生の記事を読みました。

「人手不足だからといって教員を大量採用すると、かえって忙しくなる」と。

その理由は、大量採用により、本来、教員にならないような人、つまり、本気で教員になりたいわけじゃない人、能力が劣っている人も教員になれてしまって、質が落ちてしまうから……。実際に大量採用した自治体では、荒れたクラスが増えてしまったんだそうですよ。

そうすると、周りのベテラン先生たちがいろいろフォローしないといけないですからね。確かに忙しくなりますね。

おっしゃる通りです。

 

しかしですね。ここで終わらせず、ちょっと考えてみていただきたいのです。

今のまま教員の長時間労働を放置すると、どうなるでしょう。

今や教員がブラック職業だということは、国民のほとんどが知っていますよ。

その結果どうなるかというと……現実的な人は教員を避けますよね。優秀な人が教員という職業を選ばなくなります。

大量採用しなくたって、このままいくと、質は落ちていくでしょう。

そういう意味では、この国の教育は今ものすごく危機に直面していると思うんですよ。

 

長時間労働を改善するためには、人を増やすか、仕事量を減らすか、そのどちらかをする必要があります。

人を増やすことでかえって現場の先生が忙しくなるというのなら、とりあえず、今すぐにでも、仕事を減らすことに着手すべきだということですね。

道徳の教科化でいじめは防げるのか?

小学校では2018(平成30)年度から、中学校では2019(平成31)年度から「道徳の時間」が「特別の教科 道徳」になります。つまり、道徳が教科になるのです。

現在、道徳の時間は……行事などにより、つぶされていたりします。成績をつけないから、優先順位が下なのです。

「道徳をちゃんと教えないから、いじめが起こるんだよ」と思う方もいるかもしれませんが、授業をすればいいってものではないと思います。

 

一般に、道徳の授業には教則本などを使い、「いい話」を読むわけですが、授業の中で「こういうとき、あなたならどうしますか?」と先生から聞かれて、いかに自分が善人であるか、模範的であるかをアピールし合うかのような、そういう授業になる可能性があるからです。

大人が求めている答えを、子どもはわかっていて、それを言うわけです。

子どもはいじめがいけないことだと、ちゃんと知っています。授業で先生からきかれたら、「いじめはいけない」と答えるでしょう。それでもいじめをしたり、加担したりしてしまうことがあります。

授業は授業、現実は現実、で分けて考えているからです。

 

以前、道徳で素晴らしい実践をしている先生を取材したことがあります。練りに練ったオリジナルの授業はおもしろくて、同時に子どもたちに本気で考えさせます。

そういう先生も、いるところにはいます。それは知っています。

でも、多くの先生はそんなに授業の準備に時間がかけられないのではないかと思います。

ですから、このままですと、教則本を読んで話し合う、というパターンになってしまうんだと思います……。

 

それならいっそ、首都大学東京の木村草太教授がおっしゃるように、法律を教えたほうがいじめの抑止効果があるのではないかと思います。

いじめという言葉の中には、脅迫、恐喝、暴行、傷害、強盗などが入っていること、いじめを行うと、どんな罪になり、警察はどう対応し、加害者にはどんなことが待っているか……などを教えたほうが、少なくとも事の重大さに気づけるのではないでしょうか。

いじめをなくす授業とは? 「木原雅子さんの出張授業」から学ぶこと

「学校でいじめがあった」と報道されると、世間の多くの方は、「学校はいじめの授業をすればいいじゃないか」と思うのではないでしょうか。

私もかつてはそうでした。

「いじめはいけない、と授業でちゃんと教えないからいじめが起こるんだろう」と。

でも、「いじめの授業をしても、いじめはなくならない」そうですよ。

むしろ、唐突にいじめの授業などしますと、教室の中は「誰が先生にチクッたんだ」と険悪なムードになるとか。

 

じゃあ、どんな授業をしたらいいのかといいますと……、

昨晩Eテレでやってた、「木原雅子さんの出張授業」です。

ある中学校の、荒れているクラスが再生していくドキュメンタリーです。

最初のころは、みんな、いつ自分がいじめの標的にされるかもしれないと、びくびくしています。先生に協力的な発言をすれば、それだけでいじめられるかもしれない……。だから、先生を共通の敵にして、暴言を吐き、悪い意味で結束していた、そんな感じでしょうか。こういうクラスでは、お互いに足を引っ張り合う感じで前向きなことは言えませんよね。放置すれば、どんどん荒んでいくだけです。

京都大学の医学博士である木原雅子さんは、一人一人の声に丁寧に耳を傾け、クラスを「お互いの考えの違いを認め合って、どんな発言しても、受け容れてもらえる雰囲気」に変えていくのです。

それにより、中学生たちは自分の良い面を出せるようになり、前向きな希望を持って日々を過ごせるようになります……。

 

それにしても、NHKのドキュメンタリーは本当にすごいです。きっと撮影のスタッフさんたちは、莫大な時間を子どもたちと一緒に過ごしたんだと思います。でないと、カメラの前で、本音を話せるようにはなりませんからね……。

やっぱり、お金と人の確保ができるNHKだからこそ、できることだと思います。

 

番組の中で校長先生が、「今までこんなことしたことない」的なことをおっしゃってましたが……、校長先生も担任の先生も、学年の先生も、悪気はないんだと思います。

ただ、昔のやり方が通じなくなっていることに気づくのが遅かったんでしょう。

 

もちろん、一回だけ素晴らしい授業をしても、荒れたクラスが変わるわけではありません。

番組でも、まずは子どもたちの自己肯定感を高めることから始めました。子どもたちは、自分もやればできること、自分のことを見ていてくれて、良さをわかってくれる大人がいることを知っていくのです。自分が他者に受け容れてもらえると、他者を受け容れる余裕ができます。そうやって、クラスのみんなが他者に対してやわらかい雰囲気になったところで、「お互いの意見を聞き合い、認め合える授業」です。

木原さんの場合、内容は性教育でしたが、週1回ぐらい、誰もが当事者になって考え、みんなの意見を聞き合う時間があるといいんじゃないでしょうか。授業ではなくて、学活でもいいと思うんです。もちろん、クラス会議でも。

そして、もっと多くの学校で、こういう取り組みを、時間をかけてしてもらえればなと思う次第です。それがいじめをなくすことにつながると思うんですよ。

教職課程で学生に何を教えるべきなのか。

現在、教員志望の学生が大学で学ぶ内容を変えよう、という動きがあり、先月、「教職課程コアカリキュラム」案が公表されました。

もうパブリック・コメントはしめきられてしまったので残念なんですけど…。

私が常々、教職課程で教えればいいのに、と思っていたことは3つあります。

1学級経営のやりかた

これはものすごく肝心なことなのに、今まで大学では教えていなかったのです。教科の指導方法が中心でした。良い授業をするために、教科の指導方法を学ぶことは大切ですけど、学級経営がうまくいっていないと、先生の指導が子どもに入っていきません。そういうもののようです。良い授業をするための前提として、どうやったら学級経営がうまくいくのか、その方法を学ぶことはものすごく重要なことです。

2要支援の児童生徒への対応

発達障害の児童生徒の数が20年前、30年前に比べると増えている、というのが現場の感覚です。しかし、どう対応したらいいのか、大学では教えてきませんでした。その結果、自分で勉強した人はよくわかっているし、勉強しない人は全然わかっていない、という状況になっています。教員によって理解度の差が大きいのです。若手で勉強した人のほうが、ベテランで勉強しない人よりも詳しかったりします。

要支援の児童生徒に、適切な対応してあげてほしいですよね。それをしないと、クラスの中でみんなの邪魔をする悪者になってしまいます。

この点に関しては、新しいカリキュラムにちゃんと入りそうです。

3アンガーマネジメント

以前に、このテーマで取材したことがあり、とても必要だと感じたのです。

教員は聖人君子ではありません。学校は人間と人間がぶつかり合う場所ですから、きれいごとではすみません。いつもニコニコ、みんなから好かれる「いい人」ではいられないことだってあります。

しかも、教員は「こうあるべきだ」という考え方が強めの人が多いそうです。そういう「〇〇するべきだ」は、物事を正したりするのに必要ではあります。掃除の時間にさぼっている子がいて、「なんでもいいよ~」「まぁ、いいか」なんていっていたら、収拾がつかなくなるからです。きちんと「こうするべき」「こうしなさい」とたださないといけない仕事です。

ただ、「べきだ」が強い人の場合、何度言っても従わない人に対して怒りを感じやすくなります。保護者の理不尽な行動、子どもの態度にカチンとくることが当然、あるでしょう。

教員が、何をやりだすかわからない子どもたちを前にして、怒らないほうが無理なのです。

怒ると血圧があがりますし、いつも怒っている人は眉間にしわが寄り、顔が「怒ってるような顔」になっています。そして、そういう人には怒るようなことが後から後から起きてくるのですよ。

本当は怒りたくなくても、人間ですから自分の中に湧き上がってくる怒りの感情を止めることはできません。その感情をどう処理すればいいのか、対処方法を知っておけば、教員たちが少しは心穏やかに過ごせる気がします。

さすがに3は、教職課程には入らないかな、という気がしますが、関連書籍を読むだけでもかなり勉強になりますよ。先生たちにおすすめしたいです。

学校業務改善アドバイザーさんとの会話から日本の教育の縮図を見た

今年の春から、文科省は学校業務改善アドバイザーを学校の派遣する事業を始めました。学校の業務改善を手助けするためです。学校業務改善アドバイザーは、各方面から専門家が集められた模様です。

本日、学校業務改善アドバイザーのお一人とお話をする機会がありました。

その方によりますと、第一回目の会合は、各アドバイザーさんがご自分の専門分野を語ったそうです。

 

でも、その方は「全体のバランスを考える人がいない」と感じたそうです。

 

学校事務の業務改善が得意な人は、そこだけで業務改善しようとするわけです。

文科省はひとつの学校に何人も同時に派遣するわけではありませんから、一人で学校へ派遣されて、自分の専門分野だけ業務改善してくるのでしょう。

それも、それなりの効果があるとは思います。

ですが、それはかなりいびつではないでしょうか。ある部分だけスマートにするけど、ある部分は手つかずのまま残るわけです。

本当は、学校全体を見て、いろんな部分の業務をバランスよくサイズダウンしたほうがいい気がします。

 

そして、これは日本の教育全体にもあてはまることです。

例えば、学習指導料を改訂するとなれば、専門部会を作って、専門家たちがその分野に関してだけ議論を深めます。

子どもたちのために、どう改良するかを考え、追究していきます。

それは一見よいことですが、誰も全体を見ていないんですよね。

つまり、教員の労働力のキャパシティというものを考えていないからこそ、これまで仕事が増え続けてきたのだと思います。

一日は24時間しかなく、教員の勤務時間は決まっているのです。その中で配分できる仕事量というものを考えて、議論を進めてほしいなと私は思うんです。

中教審の専門部会にこそ、学校業務改善アドバイザーが出席する必要があると思います。

教育の長時間労働縮減に向けた4つ目の視点…少子化問題。

昨日、3つの視点を書いたところ、本日、もうひとつあることに気づきました。

なので追加します。教員の長時間労働縮減に向けた4つ目の視点があります。

それは、少子化問題です。

少子化による学校の統廃合

全国的に少子化が進んでいまして、地域によっては1学年1クラスになっています。しかも、学校選択制の地域ですと、1学年10人以下の学校もあるぐらいです。

そのような小規模校は、当然、先生の数が少ないのですが、事務処理も(子どもが少ないので成績表を書く枚数は少なくて済みますが、仕事の種類は同じです)、校務分掌も(生徒指導とか体育主任とか……先生たちの中での役割分担です)、大規模校と同じだけあります。先生が少ないから複数の校務分掌をかけもちしたりするわけです。当然、部活動の顧問も。行事の準備をするのだって大変です。

対策としては、現在、学校の統廃合が進んでいます。

これ、地域住民は大反対します。

教員からも、統廃合に向けた事務手続きがものすごく面倒臭い、という声を聞いたことがあります。

でも、長い目で見たときに、教員の長時間労働の縮減に効果はあると私は思います。

もしも自分出身学校がなくなったら……と思うと、感情的には手放しでは喜べませんけどね。

小中学校でLGBTも含めた「性の多様性」教育をしてほしい

LGBTも含めた、「性の多様性」教育を、人権教育として、小中学校で扱ってほしいと私は思っています。

人権課題はたくさんあります。

東京都教育委員会の人権教育資料を見ますと、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題アイヌの人々、外国人、HIV感染者・ハンセン病患者等、犯罪被害者やその家族、インターネットによる人権侵害、北朝鮮による拉致問題、路上生活者者という12のテーマの実践・指導事例が示されています。

どれも大事です。

しかし、東京都には「性の多様性」もこの中に加えてほしいと思っています。

理由は、5つあります。

①オリンピック憲章の中に触れられている。

「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会のルーツ、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない」とあります。

文科省から通知が出ている。

平成27年4月に「性同一障害に係る児童生徒に対するきめ細やかな対応の実施等について」という通知が出ており、対応が求められています。

③当事者は学生時代に自殺を考える確率が高い。

「自殺総合対策大綱」で、「自殺念慮の割合等が高いことが指摘されている性的マイノリティについて、無理解や偏見等がその背景にある社会的要因の一つであると捉えて、教職員の理解を促進する」とされています。

④統計によると、クラスに1人か2人はいるかもしれない。

違和感を感じながら、それを隠して日々を過ごしている子どももいます。そういう子たちが「性の多様性」を学ぶことによって、「世の中にはいろんな人がいて、自分だけが変なのではなく、自分も多様性の一部にすぎず、このままでいいんだ」と思えたら、生きるのが楽になると思うのです。別にカミングアウトしなくていいのです。心の中で思ってくれたらそれでいいのではないでしょうか。

⑤学校の対応に「問題あり」のケースがある。

LGBTの児童生徒に対応しましょう、となると、「では、アンケートをして当事者を探すます」と言い出す学校が出てきます。悪気はないんでしょうが、これは、しなくてもいいことです。アンケートを実施することで、クラスの中で「誰だろう」と当事者探しが始まる可能性があります。周囲に気づかれないように、必死に隠している子どももいるのです。隠していたい子は、そのまま隠していていいのです。それが多様性ってものでしょう。学校にはもう少し当事者の立場になって配慮してほしい、それには情報が必要かなと思います。先生方に「性の多様性」について知っていただきたいです。

 

ただし、「LGBTの人について」教える授業をしてほしいわけではありません。

自分も含めクラス全員が当事者となる、「性の多様性」を教える授業をしてほしいのです。

人の性別は、「見た目、心、体、好きになる性」という4つの指標の微妙なバランスで決まります。そのバランスは人によって違い、自分も多様性の一部であると知ることで、性の問題が他人事ではなくなるのです。

「性の多様性」を学んで、誰もが当事者であり、世の中にはいろんな人がいることを感じ取れるような授業をしてほしいと願っています。それにより、上から目線で「かわいそう」などと思うのではなく、「いろんな人がいていいんだよね」と他者の個性を受け入れられるように……。

これは、クラスの中でのいじめ防止にもつながる考え方です。クラスの中に当事者と思われる子がいてもいなくても関係なく、子どもたちが生きていくうえで必要な発想であり、授業で扱う価値はおおいにあると感じます。

 

実際にどんな実践を行うべきなのか、につきましては、昨年度から、倉敷市教育委員会が研究しています。冊子がつくられていますので、お問い合わせいただくといいと思います。

 

私は教育委員会にこの話を持って行こうかと、画策中です。