日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

教員の多忙になる原因と対策

教員が多忙であると、問題になっています。

その原因を一言でいうと、特に小学校の場合、教員にいろんなことをやらせすぎるからです。

 

小学校では、担任が国語、算数、理科、社会に加え、音楽、図工、体育(音楽、図工、体育は専科の教員がいる場合もあります)、道徳、総合的な学習などなど、とにかく基本的に自分のクラスの授業を一人の教員が全部担当します。

この他に、テストの〇つけ、連絡帳のチェック、保護者の対応、校務分掌の仕事もあります。

 

まじめに授業をやろうとしたら、下準備が必要です。

例えば、国語はどういう展開で授業を進めようか。この部分を掘り下げて、そのためには何の資料を用意しようか。きっと子供はこんな反応をするだろうから、そんなときはどうしようとか。こんなワークシートをつくっておこうとか。

まじめ過ぎる人は、子どもが帰った後、そんなことを翌日の授業の数だけ、毎日やるわけです。

 

賢い人は手抜きをする科目もあります。国語には力を入れるけど、社会は指導書の通りに進めて終わりとか。それも当然です。全部の教科で毎日、完璧で、独創的な授業をするにするのは、物理的に無理だからです。

 

この解決策としては、小学校でも教科担任制にしたほうが授業の質が向上するのではないかと、私は思っています。

 

しかし、問題は授業の準備が大変、ということだけではありません。

次々に「新しいことをやりなさい」と、文科省から言われることです。

道徳、英語、アクティブラーニング、プログラミング教育……。

既存の授業の準備だけでも毎日忙しいというのに、もっともっとと仕事が増えていくのです。

学校にはすでに、人権教育、環境教育など、〇〇教育と呼ばれるものがあふれかえっている、というのに。

 

もちろん、時代に合わせて教える内容を変えていく必要があることは理解できます。

変化は必要です。

 

しかし、問題は増えるいっぽうであることです。

「これはやらなくてよい」と誰もいわないのです。

そのため、今までのものにどんどん新しいものが乗っかっていくわけですね。

 

学校現場に必要なのは、スクラップ&ビルドの考え方だと思います。

教育委員会が「やらなくていい」と言ってくれないため、賢明な校長先生たちは「これは今年はやらなくていい」、「この学年はこれはやらなくていい」、というような英断をされています。

それはとても勇気のいることです。前年度にしたことを継承するのが学校の基本的なシステムだからです。

勇気のない校長先生は…上から言われた通りに仕事を教員に振り分けるわけです。そうするとどうなるか……そもそもじっくり考える時間がないわけですから、適当にこなすことになります。

とりあえず、「うちの学校はやりましたよ」という程度の内容になると。

文科省有識者が考えた、崇高な、素晴らしい効果が期待される取組みが、こうやって形骸化していくのです。