日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

「好き」を仕事にすることと部活動の顧問問題

昨今のように教師受難の時代でも、「子どものころから教師になるのが夢でした」、「子どものころにお世話になった〇〇先生みたいになりたくて、教師になりました」という方がけっこういるのです。

 

基本的に、教師というのは「なりたい人がなる」仕事です。

 

それにはメリットとデメリットがあります。

メリットは、「子どものために頑張ること」を楽しめる、ということです。元々、子どもが好き、教えるのが好き、という人たちは、子どものために頑張ることが苦ではないのです。

デメリットは、最悪の労働条件になってしまうことです。「好き」な人たちはいくらでも頑張ってしまうからです。

部活動の指導が好きな人は、土日も返上して頑張ります。それが楽しいからです。保護者にも子どもにも感謝されますしね。

 

でも、「好き」な人たちを基準にした職場は、普通のテンションで仕事として取り組むスタンスの人にとっては「やってられない」状態になるのではないでしょうか。

 

これは、出版業界にも言えることです。文字をいじくり回すが好きな、活字中毒のような人たちが夜中まで原稿を書いたり、修正したりを繰り返しているのです。そんな人が集まっています。そこに、労働条件を気にするような仕事と割り切ってこなしたいタイプの人が入ってきた場合、さっさと転職していきます。割に合わないし、やってられないからです。

もちろん、頑張り過ぎて体を壊す人もいますけどね。

 

話を教師に戻しますと、

いわゆる普通のビジネスマンの方たちよりも、教師は少しだけ職業選択の動機が強いように思います。

ビジネスマンの方たちも、「あの仕事をしたい」という夢を持って入社するとは思いますが、結局のところ、それができるのはごく一部であり、多くの方は与えられた環境で与えられた仕事をこなすのではないでしょうか。だからこそ、仕事として冷静に取り組めるのだと思います。

それに対し、教師は「好き」でやっている仕事だけに、頑張り過ぎてしまう人が多い、ということです。

 

さて、昨今の部活動の顧問の問題ですが。

部活動の顧問も、「好きでやっている人」と「やってられない」人がいます。

両方の方がいるから、問題が複雑です。

「好きでやってる人」に「やるな」とは言いにくいでしょう。

問題を解決するには、誰かとの衝突が避けられず、それを避けるために、この問題が長い間放置されてきたようにもみえます。

 

そして、頑張る人がいると、頑張りたくない人は、保護者からも子どもからも「非難されているような気分」になります。おもしろくないですよね。社会常識に照らして、あたりまえの権利を主張しているだけなのに。

 

これまで教育現場は「好きでやってる人」を基準としてきました。

でも、時代の流れというか、最近は「教育現場にビジネス界的な発想を取り入れるべきだ」との考え方があり、少しずつ入ってきています。

教師の中からも「やってられない」という声がたくさん上がってきているのだとしたら、「好きでやってる人」に合わせた基準を、そろそろ変える必要があるということなのかもしれません。