日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

カリキュラム・マネジメントと教員の長時間労働の話。

このところずっと、文科省のサイトで学習指導要領を見たり、中教審の答申を見たりしながら、カリキュラム・マネジメントについて考えていました。

 

はっきり言って、難解です。

何が難しいって、文章が。

「わかる人にはわかる」文章となっております。

私を含め、教員以外の人間が読んでも、意味不明でしょう。

学習指導要領関係の文書、もっとわかりやすく書けばいいのになぁといつも思っています。

 

ですが、私は仕事ですから。解読しましたよ。

カリキュラム・マネジメントとは、2020年実施の新しい学習指導要領のキーワードの一つです。

何をさせたいかといいますと、地域の実情、子どもの実態に合ったカリキュラムを各学校で考えましょう、ということのようです。

今は、多くの学校では教科書の順番に、教科書会社が作ったスケジュールに従って授業をしています。全国どこでも。

でも、そうじゃなくて、学校ごとにカリキュラムを考えましょうと。

確かに、学校によって、子どもたちの特性は違います。

宿題をやるのが当たりの地域だったら、宿題をどんどん出せば勉強してくれます。しかし、宿題をやる習慣のない地域というのもあるので、そのような地域の学校はできるだけ学校でいろいろやらせたほうがいいわけです。

地域によってカリキュラムが違ったっていいと思います。

 

ただ、気になるのは教員の働き過ぎ問題です。

カリキュラムを学校ごとに、教員がみんなで考えるとしたら、また会議が必要です。おそらく何度も。

せっかく業務改善で会議の回数を減らしたというのに……子どものためにまた増やす。

こういうことの繰り返しです……。学校は。

 

「子どものため」が優先ですからね。

カリキュラム・マネジメントは子どものためにしたほうがいいことです。でも、「したほうがいいこと」を増やし続けていくのはいいことなんでしょうかね。

そのために、教員の長時間労働の縮減とは、真逆のことを行おうとしているわけです。

なぜなら、長時間労働を縮減しようと思ったら、極端なことをいえば、日本全国共通のカリキュラムを文科省が配付すれば、考える時間は不要になります。

作業を単純化したほうがいいに決まってます。

 

でも、そんなわけにはいかないですからね。

すくなくとも、単純化するものと、複雑化するものを分けたほうがいいんじゃないかと思うんですよね。

これからは、中教審のメンバーの中に、業務改善のスペシャリストを入れてもらって、「この仕事を増やすのなら、かわりに、この仕事を減らす」というところまで考えてもらったほうがいいんじゃないでしょうか。