日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

小中学校でLGBTも含めた「性の多様性」教育をしてほしい

LGBTも含めた、「性の多様性」教育を、人権教育として、小中学校で扱ってほしいと私は思っています。

人権課題はたくさんあります。

東京都教育委員会の人権教育資料を見ますと、女性、子ども、高齢者、障害者、同和問題アイヌの人々、外国人、HIV感染者・ハンセン病患者等、犯罪被害者やその家族、インターネットによる人権侵害、北朝鮮による拉致問題、路上生活者者という12のテーマの実践・指導事例が示されています。

どれも大事です。

しかし、東京都には「性の多様性」もこの中に加えてほしいと思っています。

理由は、5つあります。

①オリンピック憲章の中に触れられている。

「このオリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、 国あるいは社会のルーツ、 財産、 出自やその他の身分などの理由による、 いかなる種類の差別も受けることなく、 確実に享受されなければならない」とあります。

文科省から通知が出ている。

平成27年4月に「性同一障害に係る児童生徒に対するきめ細やかな対応の実施等について」という通知が出ており、対応が求められています。

③当事者は学生時代に自殺を考える確率が高い。

「自殺総合対策大綱」で、「自殺念慮の割合等が高いことが指摘されている性的マイノリティについて、無理解や偏見等がその背景にある社会的要因の一つであると捉えて、教職員の理解を促進する」とされています。

④統計によると、クラスに1人か2人はいるかもしれない。

違和感を感じながら、それを隠して日々を過ごしている子どももいます。そういう子たちが「性の多様性」を学ぶことによって、「世の中にはいろんな人がいて、自分だけが変なのではなく、自分も多様性の一部にすぎず、このままでいいんだ」と思えたら、生きるのが楽になると思うのです。別にカミングアウトしなくていいのです。心の中で思ってくれたらそれでいいのではないでしょうか。

⑤学校の対応に「問題あり」のケースがある。

LGBTの児童生徒に対応しましょう、となると、「では、アンケートをして当事者を探すます」と言い出す学校が出てきます。悪気はないんでしょうが、これは、しなくてもいいことです。アンケートを実施することで、クラスの中で「誰だろう」と当事者探しが始まる可能性があります。周囲に気づかれないように、必死に隠している子どももいるのです。隠していたい子は、そのまま隠していていいのです。それが多様性ってものでしょう。学校にはもう少し当事者の立場になって配慮してほしい、それには情報が必要かなと思います。先生方に「性の多様性」について知っていただきたいです。

 

ただし、「LGBTの人について」教える授業をしてほしいわけではありません。

自分も含めクラス全員が当事者となる、「性の多様性」を教える授業をしてほしいのです。

人の性別は、「見た目、心、体、好きになる性」という4つの指標の微妙なバランスで決まります。そのバランスは人によって違い、自分も多様性の一部であると知ることで、性の問題が他人事ではなくなるのです。

「性の多様性」を学んで、誰もが当事者であり、世の中にはいろんな人がいることを感じ取れるような授業をしてほしいと願っています。それにより、上から目線で「かわいそう」などと思うのではなく、「いろんな人がいていいんだよね」と他者の個性を受け入れられるように……。

これは、クラスの中でのいじめ防止にもつながる考え方です。クラスの中に当事者と思われる子がいてもいなくても関係なく、子どもたちが生きていくうえで必要な発想であり、授業で扱う価値はおおいにあると感じます。

 

実際にどんな実践を行うべきなのか、につきましては、昨年度から、倉敷市教育委員会が研究しています。冊子がつくられていますので、お問い合わせいただくといいと思います。

 

私は教育委員会にこの話を持って行こうかと、画策中です。