日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

教育現場のスタンダードに賛成です。

10月29日の朝日新聞に、学校現場でスタンダードが広がっている、という記事がありました。

スタンダードには、授業に関するもの、学校生活に関するもの、学習規律(机の上には何を置いて…、ノートの書き方はこうで、など)に関するものなどがあります。

これは、全国学力・学習状況調査を行ったことの功績の一つだと思います。

それまで、県や市の教育委員会は、他の自治体がどんなことをしているのか、ほとんど注意を払っていなかったのです。うちはうち、でした。しかし、毎年、テスト結果が数字ではっきりと出るようになり、そうもいっていられなくなりました。「学力上位の県は何をしているのか」をみんなが知りたがり、追いかけるようになったわけです。

 

私はスタンダードに賛成です。

理由はいろいろありますが…。

もちものに関しては、担任が、例えば、「授業中はえんぴつを使いましょう」と指導すると、保護者から、「そんなこと、誰が決めたんだ」とクレームが来ます。そういう時に、「学校で決まっているのです。詳しくは校長先生が話すそうです」と答えれば、担任が長時間かけて納得してもらうまで説明する手間が省けます。

そういう意味では、教員の長時間労働の縮減にいくらかは貢献するのではないでしょうか。

こんなふうに、スタンダードの中にもいろいろありますが、私が特に重要だと思っているのは、授業のスタンダードです。

授業の進め方に関しては、課題、まとめ、振り返りなどを設定する授業になりますが、スタンダードがうまくいっている授業では、子どもは落ち着くようです。何のために今自分は何をしているのか、子ども自身が理解しやすくなるからです。

私はそういう授業を見たことがあります。

 授業の進め方がパターン化しているからこそ、他の事に気をとられず、子どもたちは内容そのものに集中できているように見えました。

学校単位のスタンダードがあると、一年生から六年生まで、ずっと同じやり方で授業が進みます。つまり、子どもたちに学び方が身に付きます。高学年になると、先生にあれこれ指示されなくても、自然に動けるようになって、集中力が高まるそうですよ。

 

何が起こるかわからない、刺激一杯の授業もあっていいとは思いますけど、すべての子どもがそれを毎回毎回、求めているんでしょうか。

それを求めていたのは、先生のほうだったのかもしれません。

実は、多くの子どもが求めているのはワンパターンの、落ち着ける授業だったりして。

子どもにとっては、毎日毎日、1時間ごとに違う教科の新しいことを教え続けられるわけですからね。いつもいつも違うことをされたら、対応するのが大変な子どもだっているでしょう(大人だってそうです)。

だから、授業の進め方には刺激はそんなにいらないんじゃないか、と私は思っているのです。

その枠の中で、教員がどういう発問をして、どんな意見を引き出すのか、そっちが刺激的であればいいし、教員の個性を発揮していただけばいいんじゃないでしょうか。

 

授業のスタンダードは、オーソドックスな型なわけですから、若い教員にとっては、必要不可欠です。

 ただ、授業がある程度パターン化されますので、反対する教員もいると思います。

朝日新聞の記事でも、ある大学教授が「指導が画一化される」と心配なさっておられます。

でも、それは「頭のいい人の言い分」でしょう。

頭のいい人は、個人の自由を求めますよね。

パターン化された授業なんてつまらない、と頭のいい教員は思うんでしょうけど、子どもはどうでしょうか。

おそらくご自身は子どものころから頭がよくて、創意工夫ができたんでしょうが、そういう子どもばかりじゃないですからね。

授業がわかってるんだかわかってないんだか、微妙な子どもがいて、毎回違うパターンの授業をされたら、作業をするのに必死で、やってることの意味を理解するよゆうなんてないのでは。

そう。つまり、どんな子どもに照準を合わせるのかという話なわけで、今は多くの学校が「どの子もわかる授業」をめざしているんですよ。ユニバーサルデザイン化を進めているわけですから、困難を抱えている子どもも理解しやすい授業をするのが当然ではないでしょうか。

昔は、クラスの中で、テストの点数の分布を見た時、真ん中あたりのレベルの子どもの数が多かったので、そこに照準を合わせて授業をするものでしたが、今はふたこぶラクダ型だったりします。下のこぶに照準を合わせるには、スタンダードがあったほうがいいんじゃないか、ということです。

たとえ、頭のいい先生にとっては少々マンネリで、退屈だったとしても、多くの子どもが「わかる授業」をすることの方が大事です。

実際に、学力上位の複数の県には授業のスタンダードがあり、効果をあげているのです。

 

ですから、新聞記者、大学教授など、頭のいい人たちから批判されたとしても、クラスの中で成績が半分より下の子どもたちのために、各教育委員会はスタンダードを進めていただければと思います。

頭のいい子どもの指導は……少人数学習、塾などでお願いするとして。

公立の 小中学校の役割は、どの子もわかる授業をすることだと思うんですよ。

何をやってるかわからない授業を、中学3年生まで聞き続けるなんて、苦痛以外の何物でもないですからね。

 

ただし、スタンダードを絶対視することには反対です。

これは、学校生活、学習規律など、すべてのスタンダードでいえることですが、おかしいところがあったら教員が声をあげ、とことん議論して、改善していくべきです。そういう柔軟性は必要なんじゃないかと思います。

それをしないと、形骸化しそうです。

変なスタンダード、あるいは、子どもたちの実情に合わなくなったものがもしもあったら、変えていかないと、ですよ。

例えば、教育委員会が年1回スタンダードの検討委員会を開催するなどして、確認、改善をしていく必要があると思います。