日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

忙しい、できる先生はここが違う!

私は教育委員会の担当者や校長先生を取材したら、発売前に原稿を確認してもらうことにしています。

新聞だと記事の賞味期限はその日で終わりますが、月刊誌は一カ月間繰り返し読まれることが想定されるからです。

間違っていることを書いてしまったら大変ですからね。

そのやりとりで思うのでは、仕事のできる人、忙しい人というのは、微妙な表現ではなくて、「書かれている内容が正しいかどうかをチェックする」ということです。この人たちは、自分の思いや考えを人に伝えることの難しさを知っているのでしょう。言いたいことの本質的な内容に間違いがなければ、それで「よし」とするのです。

忙しいから。もっと他に大事なことがあるから。

ざっとチェックして「あとはおまかせします」という感じです。

 

それに対して、ひまそうな、あまり仕事ができなそうな人は、細かいんですよね。「いちいち表現をチェック」します。この言葉はこう変えてほしいとか、インタビュー時に言わなかったとを、書き加えてくるのもこの人たちです。しかも、修正したら、それをまた見せてほしいといってきます。

完璧を求めるんでしょうね…。

おそらく何時間もかけて修正しているんだろうな、と推測され、こういう人って、実はヒマなのかな~と私は思っています。

そして、他人を(つまり私を)全然信じてない(笑)。

なんでも自分でしたい。

 

教員のみなさんに、お伝えしたいことは…、

忙しい、仕事ができるとされる先生たちは、けっこう雑だということです。それでも大丈夫なんですよ。ポイントさえ押さえていれば。

 

①完璧を求めない、

②人に任せる(なんでも自分でやろうとしない)’、

できる人はそうやってたくさんの仕事をこなしています。

子どもに関することは丁寧に対応する必要があると思いますが、事務的なこともふくめ、全部の仕事を完璧にこなそうとしてたら、何時間あっても足りませんよね。

ミスを怖れる気持ちもわかりますが、すべてに完璧を求めている限り、教員の働き方改革はできないんじゃないでしょうか。

業務改善も大事ですが、根本的な問題として、①と②の考え方に改める必要がある気がします。

 

以前会った校長先生が、「アンケートでも文書の作成でも、なんでもものすごくまじめにやる教員がいる。だから、その教員には、これは適当でいいよとか、言ってあげていた」と言っていました。

本当は、そんなことはいちいちいわなくても、要領良くやってほしいところですが、校長先生がそこまで言わないと、働き方改革は進まないのかもしれませんね。