日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

教育現場を変えるに違いない、新しいタイプの先生に遭遇

今週は、関西地区の30代の先生にお会いしました。

仮にA先生と呼びます。

A先生は、今までにはお会いしたことがないタイプの先生でした。

今どきの先生は、育ちのよさそうな人が多いんです。親も先生で、英才教育を受けてきたような、とってもさわやかな人たちです。

A先生は全然違います。ワイルドというか、雑草のような強さがあります。ものすごく強い生命力を感じます。押しが強くて、不良たちとも戦えそうです。

 

A先生は、「礼儀正しくきちんとした」先生のイメージからはかけはなれていますが、子どもの心に寄り添っていますし、子どもへの対処法を、現在、大学院で勉強しています。

だらだら残業をしないで、毎日5時に帰っているそうです。

職員室の空気を読むとか、そういうことをしないで我が道を進んでいる様子です。

もしかしたら、職員室で浮いてるかもしれませんが、こういう人が時代を変えていくんではないか私は思うのです。

 

教員の多忙が世間で知られ、現在、教員になりたがる学生が減っていると言われています。

でも、その結果、今まで教員にならなかったような、例えば、押しの強い、ヤンキー風の人が教員なるとしたら……。教員の多様化が進んでいくのは、いいことなんじゃないかなとA先生を見て思ったのです。

 

今の先生たちは結局のところ、優秀すぎるんではないでしょうか。

マルチタスクがこなせるから、仕事がどんどん増えてしまうし、自分でも増やしてしまう。

それに対し、そんなに優秀ではなくて、人間味のある、たくましい人たちが先生になったら……業務の処理能力が下がるでしょう。そうすると、処理できないんですから、仕事は減ります。

教員たちがやり切れない仕事は、教員にならなかった優秀な人たち……例えば、保護者や地域の方が肩代わりをするのです。優秀なんだからできるはずです。

そして、ヤンキー風の先生たちは押しが強いので、モンスター的な保護者に負けないでしょう。ダメなものはダメだと、はっきり言って、ときにはケンカもするので、撃退できます。

こうして教員の仕事は減って行きます。

 

そして、十年ぐらいすると、「教員の仕事は楽だ」というのが常識になって、また優秀な人が教員になりたがり……優秀な人が集まると仕事が増えてしまい、そしてまた忙しくなり……教員志望者が減り……。

とまぁ、こんな感じに歴史を繰り返していくのかなぁと勝手に思っています。