日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

教員が忙しくなった原因は…指示待ち人間をつくりだすから。

学校の先生が忙しい理由がわかりましたよ。

それは、先生が、指示待ちの人間をつくりだしてしまうからです。

先生の周りには、指示待ちの大量の子どもたち、保護者たち、地域の人たちが群がっています。

 

どうしてこうなるかというと、本人たちに考えさせる機会をつくらないからでしょう。

授業の中で先生たちは、「言われたことだけしなさい」とよく言いますよね。言われたこと以外、つまり、自分で考えて行動すると、叱られるんです。

だから、子どもは自発的に何もしなくなります。

余計なことをしない子、それが「よい子」だからです。

それが伝統的な日本の教育です。

 

少し前の話ですが、私は、外国人の講師によるワークショップに参加したことがあります。参加者は30代、40代の日本人の女性ばかりでした。

材料は目の前にあります。私たち参加者は講師の指示を待ち、言われた通りにやろうとしました。勝手なことをする人はいません。失敗したらいけないからです。

すると、その外国人講師は言ったのです。

「日本人はなんでもいちいち聞く。自分で考えて、好きなようにやればいいのに」と。

そうか~、と私は軽くショックを受けました。

指示を待つことが当たり前になっていて、それがよいことだと思っている自分に気付いたからです。

これは日本の常識であって、海外の当たり前ではないと知ったのです。

 

こんな感じで、今の日本の保護者は指示待ち文化で育っています。

困りごとがあったとき、行政、警察、裁判所などのジャッジを仰ぐのが一般的な善良な市民の姿です。

そして、上の人たちが下したジャッジをしぶしぶ受け入れるのです。

ふと気付けば、管理する側にとっては、非常に都合のいい市民たちになっておりましたね。

勝手なことをしない、従順な私たちです。

なんか悔しいですけど。

 

だから、保護者は困りごとがあると、学校の先生になんでも相談します。先生にジャッジしてもらい、「あなたはこうしなさい」と言ってもらいたいからです。

先生たちもそれを「よし」としてきました。長い間、ずっと。

それが権力者として当たり前の行為であり、そうやってクラスの子どもと保護者を管理してきたのです。

その結果、先生たちはいろんなことの、細かい指示をだし続けなければならなくなり、どんどん仕事が増えて今があります。

そして、先生たちの仕事が増え過ぎてしまって、いそがしくて対応しきれなくなった今、今度は先生たちが文科省教育委員会の指示を待っているのです。

働き方改革、なんとかしてくださいよ~と。

 

2020年から新学習指導要領が小学校で全面実施となります。

新学習指導要領が育もうとしているのは、「自分で考えて行動できる子ども」です。

どうしてこのような子どもを育むのかというと、国民が従順な指示待ち人間ばかりだと、ビジネスで海外と競い合っていけないので、この国の存続が危うくなるからです。将来、ビジネスがうまくいかなくなって国が困窮し、押しの強い国に土地や資源を買われて植民地的扱いを受ける可能性だってありますから……。

新学習指導要領が意図していることは、「指示待ち文化」からの転換だともいえるのではないでしょうか。

これはすごいことですよ。

社会全体をひっくり返すような価値観の大転換です。

 

まずは先生たち自身が、例えば、働き方改革で、上の指示を待つのはおやめになったほうがいいんじゃないかと思いますが、それは難しいかな……。生き方をそう簡単に変えられるもんではないですからね。

 

でも、子どもや保護から相談を受けたとき、なんでもかんでも先生がジャッジするのはやめるべきでしょう。

先生がどうするのか決めるのではなく、「どう考えているのか」「どうなることを望んでいるのか」と聞き、本人に考えさせるようにしていく必要があるのではないでしょうか。

保護者が「学校は何やってるんだ」と責めるのではなく、教員と一緒に考える、そういうスタンスにしていくのです。

そうすれば、将来は「自分で問題を解決できる人がすごい人」となるような、そんな社会になる……はず。