日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

大川小津波訴訟…学校の事前防災をどうするか

教育現場には、昔からずっと変わらない部分もありますが、変わった部分もあります。

私がここ数年で変わったなと感じるのは、学校が社会とつながってきたことです。

 

それにより何が起こっているかというと、社会で起きたことが、学校にもかかわってくるようになりました。

以前は、社会で何が起ころうと、学校は自分の学校の中のことだけを、学校の中の人間たちで考えてなんとかしていればよかったのです。

授業研究をしましょう、行事をしましょう、授業参観をしましょう、などと考えていると、一年なんてあっという間に過ぎていきます。

 

かつての教育雑誌の目次を見ると、毎年、内容はほとんど同じでした。

学校関係者が欲しがる情報は、この季節はこれ、というような、毎年代わり映えしないものだったということです。

 

でも、今の学校は社会とつながりつつあります。

社会でLGBTが話題になれば、学校も何か対応を考えなくてはなりません。

社会で「働き方改革」が話題になれば、学校も教員の働き方の改革を求められます。

 

そうなると、学校内部の人間だけでなんとかしようとしても無理なことも、今後はどんどん増えてくるでしょう。

 

例えば、大川小の津波訴訟の控訴審の判決では、津波襲来に対する事前の対策を怠ったと学校と市教委の過失が指摘されました。

釜谷地区には、確か60年以上だったか、津波は来ていなかったそうですし、地元の人にとっても「まさか」の事態でした。地元の人の意見を尊重して、裏山に避難させなかったのかどうなのか、今となってはわかりませんが……。

学校や市教委にしてみれば、「事前防災といわれても、そこまで学校、教員に求められても……」との声も、挙がっていることでしょう。

確かに、市教委と教員たちだけで事前防災をやれ、と言われても無理だと思います。

 

大事なことは、日本全国で、今後このような悲劇を二度と繰り返さないことです。

それには、防災の専門家の意見を反映させる必要があります。

 

対策としては、市教委が地元の大学(公立でも私立でも)と連携し、大学と防災に関する共同研究を進め、各学校ごとのリスクを新たに想定し、どんなマニュアルが必要なのか、どんな避難訓練をするべきなのかを検討する、なんていうのはいかがでしょうか。

そして、検討したらそれで終わりではなく、継続的に検討し、改善していくのです。

そのためには、各大学に防災関連の学部が必要なわけですが、もしもない場合は……楽観的な考えを申し上げますと、新設したりできるといですよね。その大学に地域の防災研究の拠点になってもらえばいいと思うのです。

そうすれば、地方の大学が生き残るための道も開かれるのではないでしょうか。

もちろん、共同研究をするのは、防災の専門家がつくったNPOだっていいんですよ。

 

おそらく先生たちの中には、今迄通り、学校の中のことは、プロである自分たちだけで決めたいと考える人もいることでしょう。行動経済学では現状バイアスというのだそうですが、「現状を変えたくない」と多くの人は考えるそうです。

でも、先生たちだけでは手に負えないことが、何十年かに一度、起きることがあります。

そのときに備えておく必要がある、と大川小津波訴訟の裁判は示しました。

 

これは防災に限った話ではありません。これからは、いろいろな部分で、学校だけが全責任を負うのではなく、地元の大学や地域、保護者を巻き込んで(なんとなく、ではなく、きちんとした形で契約して、正式に責任を分散して)、みんなで子どもたちを育てていく必要があるのではないかと思います。