日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

学校には、道徳を教える資格があるのでしょうか。

神戸市で、いじめを受けていた中3年の女子生徒(当時14歳)が2016年10月に自殺した問題で、同級生からの聞き取りメモが隠蔽(いんぺい)されていたことがわかりました。当時の校長が市教委幹部の指示で隠蔽する方針が決まった後、教職員らに「メモは存在しないものとして扱う」と口止めしていたそうです。

こういう隠蔽事件が起こるたびに思うのは、学校に「道徳を教える資格はあるんだろうか」ということです。

 

大人は組織を守るために平気でうそをつきます。バレなければうそをついてもOKだと思っています。

国会中継を見ていればわかります。

大人は全然正しく生きていません。

 

日大アメフト部の事件を見ていると、大学生さんのほうが道徳的に行動しておられます。

道徳的でないのは、指導者である大人たちのほうです。

 

大人たちは自分の組織への思いやりはありますが、その組織の名誉や存続を揺るがす人への思いやりは持っていないのです。持とうともしないのです。

今回の事件であれば、亡くなられたお子様、そのお子様のご家族への思いやりはまったく感じられません。そして、そのことを疑問に思っていないようです……。

 

にもかかわらず、学校では道徳の時間に、子どもたちに、人を思いやること、嘘をついてはいけないこと、正直に生きることの大切さなどを教えているのです。

 

教育委員会、学校などの記者会見を見ていますと、みなさん、明らかに、裁判になったときのリスクを考えて発言しています。自分たちにとって不利になるかもしれないことは言うなと、弁護士さんから言われているのでしょう。

一般企業の方なら、それでもいいと思うのです。

しかし、学校は違うでしょう。世間が学校に厳しい目を向けるのもそういう思いがあるからです。

学校は、正直であってほしいです。保身のためではなく。本当に向けるべき相手に思いやりを向けて。

私自身は、どこにでもいるような、適当な、普通の大人の一人です。学校にそういうものを求めてしまうのは、わがままなんでしょうか。

 

小学校では道徳が教科になりました。

「考える道徳」といって、模範的な解答を求めるのではなく、子ども一人一人にじっくり考えさせようとしています。

せっかくなので、「嘘をついてはいけないと教えてきたけど、先生は自分や組織を守る為なら嘘をついてもいいと思う。みんなはどう思うか」と考えさせたらいかがでしょうか。

学校は今、「時間が足りない」と嘆いています。英語、プログラミングなど、教えるべきこと、教えたほうがいいことがたくさんあるからです。その状況の中で、道徳を教科にしてまで教える意味があるんでしょうか。