日本の子どもの自己肯定感とGIGAスクール構想
日本の子どもは自己肯定感が低い、これはもう、ずっと前から言われてきたことです。
でも、私はこれを聞くと、もやもやします。
なんか違うんじゃないかと、重要なことが抜けているんじゃないかと、疑ってきました(笑)。
最初に申し上げておきますと、もちろん、私はど素人の一般人です。
だけど、気になるんですよ。
今の大人たちはどうでしょう。
大人たちも自己肯定感が低いのかというと、そうではないと思うのです。
給料の話をするとき、私の周りで、「私のようなダメな人間が、現在、十分なお給料をもらっておりますよ」などと答える人は皆無です。
今までに会ったことがありません。
誰もが「もっともらっていいはずだ」と答えます。
みなさん、十分、自分を高く評価しています。
自分の仕事ぶりを肯定しています。
自己肯定感がそれなりに高い、ととらえることもできるんじゃないでしょうか。
確かに、子どもにアンケートをして、他の国の子どもの結果と比べると、「低い」ということになります。
でも、聞き方に少々問題があるような気がします。
ある国際調査で行った質問は、「自分をダメな人間だと思いますか」だそうです。
これに、「はい」と答えると自己肯定感が低いと評価されるのです。
ちょっと簡単すぎるような。
だって、小さな子どもにもちゃんとプライドがあって、恥をかくことを嫌いますよね。いつも自分はダメな人間だと、思ってるわけじゃないと思うのです。
そんなことを考えていたら、ある本で興味深い記述を見付けました。
「自己肯定感の低い子どもは、自己評価が高い」というデータがどこかの国にあるそうです。
要するに、自分はこんなことができるはずだという、理想が高いと。
でも、実際には思った通りにいかなくて、自信を失ってしまい、自己肯定感が低くなる……。
もしかして、日本の子どもが自己肯定感が低いといわれるのは、理想が高いからなんじゃないかと、思い至りました(あくまでも勝手に思っているだけです)。
そして、その原因は何だろうと考えたときに、大人が子どもに高い理想を押し付けているせいじゃないかと。
家庭では、子どもが小学生ぐらいまでは、保護者が「いい親」になろうと頑張り、保護者自身には「できないこと」まで子どもにさせようとします。「自分にはできなかったことを成し遂げてほしい、ちゃんとした大人になってほしい」という親心からの行動ですが、そのために保護者も子どもも大変です。期待に応えられる子どもはいいのですが、そうでない子どもは……。
学校では、「こうしなさい」「こうすべきである」ことだらけです。それは子どもが失敗しないように、「良い子ども」にするために、先生たちが良かれと思ってしてきたことなんですが、長年にわたってこの体制がつづいてきたせいで、ルールがあまりにもがっちりと強固になりすぎているような気がします。
長年続いてきたことなので、多くの子どもは、なぜそのルールを守る必要があるのかを考えることをしないで、ただ先生に言われた通りに行動しようとします。そして、ルールを守れる子どもは理想的な良い子で、失敗して、その通りにできないと、「ダメな人間」が生まれてしまいます。
子どもがもっと成長したい、上をめざしたいと願うのは当然のことでしょう。
だとしたら、高く硬くなりすぎてしまった理想を、もっと現実的な、小さなステップに戻す必要があるのではないでしょうか。
一人一台の端末を使って、4月からGIGAスクール構想が動きだします。
この半年ぐらい、私はずっとそのテーマで取材を続けてきました。
これは大きなチャンスだと思うのです。
どんな授業をすれば正解なのか、端末をどのように使うと情報活用能力が高まるのか、それがまだ定まっていないからです。きっとこれから、一人一台の端末を巡っていろいろな問題が起きてくると思いますが、時間をかけて少しずつ、先生たちが試行錯誤を繰り返してなんらかの形をつくり上げて行くことになります。
ということは、学校の中で、先生たちは常に絶対に正しい存在ではなくなり、揺れる存在になります。端末の使い方など、子どもの方が詳しい、ということも起きて来るでしょうし、先生と子どもの関係が少々変化する可能性があります。
この機会に、高すぎる理想、強固なルールにしばられた時代は、もう終わりにしたいですね。
これからは先生も、子どもも、保護者も、みんなで失敗しながら、みんなで知恵を集めて、新しい時代の学校の在り方を、考えていく必要があると思うのです。