日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

新人教員の自死…責任は誰にあるのか

福岡県春日市立小学校で24歳の新人教員が、採用からわずか半年後に、教室で首をつっている状態で発見され、翌日亡くなったそうです。この事件が起きたのは2019年ですが、当時はニュースになりませんでした。しかし、この件に関して遺族に対して学校関係者から説明や謝罪はなく、ご遺族は市教育委員会などに訴訟を起こすことにしたそうで、NHKが取材して報じました。

 

まずは亡くなられた方にお悔やみを申し上げます。

本当に悲しく、残念なことです。

 

学校内でこのような事件が起きたとき、学校も教育委員会も責任の所在を明らかにしないことが多いようです。

まずは、初任者教員(1年目の新人教員のこと)が自死した場合、その責任をはっきりさせる必要があるのではないでしょうか。

それは……校長の責任だと思います。校長に減給など、ペナルティを与えてもいいぐらいですよ。

そう書くと、「本人に問題があって……」などと言う方も出てくると思いますが。

 

本人の仕事のしかたに問題があったとしても、1年目の初任者に関しては校長の責任だと思います。

 

例えば、どこの会社にも、仕事ができる人とできない人がいます。一流大学出身でも、高校や大学の成績がよくても、仕事がうまくできない人はいます。そういうもんでしょう。

学校で働く先生の中にも、仕事ができる人とできない人がいるでしょう。

マルチタスクが苦手とか、仕事を一つずつしかできないとか、事務仕事が苦手とか、丁寧に時間をかけないとできないとか、手抜きができないとか、いろんなタイプの人がいると思うのです。そういういろんなタイプの人が働けることこそ、多様性ってもんでしょう。

学校は子供の多様性を認めようとしつつありますが、先生方の多様性は認めようとしない面があります。今はバリバリ仕事をこなして、仕事ができない先生にイライラしている方であっても、やがて状況が変わってくるかもしれません。親の介護や自分の体調の変化、家族の問題などで仕事に集中できなくなる可能性がないとは言えませんよ。いろんな人がいていいんだということ、ここの意識を緩くしていかないと、みんながつらくなるだけだと思うんですよ。

 

特に、1年目の教員には学校が手厚く面倒を見なくてはいけないと思います。

誰がって、校長が責任をもって。

そういうと、「初任者指導教員に任せてますから」などと言われそうですが、できる校長先生は、任せっぱなしにしないんですよ。

ある校長先生は、初任者に「何か困ったことはない? 初任者指導教員の指導のしかたはどう?」と、校長のほうから毎週声をかけていました。

校長が初任者をきびしく指導するのではなくて、初任者の声を聴いて、逆に、指導する側の初任者指導教員に「この指導法はよくわからないといってるから、変えてくれる?」みたいに指導していましたよ。初任者指導教員の中には、昔のやり方に固執してダメだしばかりする人がいますから、アップデートを促すのは校長の役目でしょう。

そういう学校の初任者は、校長先生に何でも相談できて楽しそうですよ。

 

ひと昔前だったら……例えば、ある学校に二人の初任者が配置されたら、二人に対して同じことを教えればよかったのかもしれません。

しかし、時代は変わりました。初任者を育てようと思ったら、一人一人に寄り添う必要があるのではないでしょうか。つまり、学校に二人いたら、それぞれに適した指導のしかたを考える必要があるように思います。

サクサク仕事ができる人にはあまり口を出さずにどんどんチャレンジさせて、逆に、仕事をなかなか覚えられない人には手取り足取り……みたいな。先生も個別最適な学びが必要なのではないかと思うのですよ。

「そこまでできないよ~」という声が聞こえてきそうですが、初任者指導教員の中には、校長と連携しつつ、そういう指導の仕方をしている方もいます。

 

そうやって、なんとか初任者の一年を終え、その後、学校の雰囲気が合わない、仕事のしかたが合わないと感じた方が転職する、というのはあって当然のことです。それを止める必要はないと思います。別の分野でご本人の得意分野を生かせるかもしれませんしね。

でも、初任者の間は、校長先生がしっかり面倒を見てあげてほしいと思ってしまうのですよ。

学校によっては「初任者つぶし」の保護者がいる、という話を聴いたことがあります。

初任者に、対応が難しいとわかっている手強い保護者の相手を任せきりにするなんてもってのほかですよ。まずは校長先生が見本を見せてあげてほしいし、それが無理ならせめて一緒に考えて一緒に対応してほしいです。お願いします。