日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

教員の長時間労働を縮減するために…実践例をつくる

前回、このブログで「教員の長時間労働が改善されないのは、教員がロビイ活動をしないからだ」と書きましたが、実はもうひとつ、改善するための方法があります。

 

それは、実践例をつくってしまうことです。

先日、文部科学省ではないんですが、ある省で働いておられる方とお話しする機会がありました。せっかくなので、「要望があるとき、どうやったら省に実現してもらえるのか」と聞いてみたのです。

その方いわく、「いきなり、『こうしてほしい』と言われても、それが正しいことかどうかわからないので、省として動くのは難しい。どこかの市などで実践してみて、『これをすると効果があります』という結果をもってくれば、話は早い」とのことです。

 

つまりですね、どこかの市教委の指導のもとで、管理職が教員の出退勤の時間管理をしっかりやり、各教員が時間外勤務をした時間数を貯めていって、夏休みや冬休みに貯まった分だけ休むようにするのです。そして、実際に長時間労働が縮減したという結果を出し、それを国に報告することが求められているのです。

 

かなり、勇気のいることだとは思いますがやってみないことには始まりません。

ぜひ、チャレンジしていただきたいのですが、いかがでしょうか。

例えば、Y市は夏休みに完全閉校日をつくっていますよね?

Y市の市教委の皆様、いかがですか?

教員の長時間勤務が改善されない政治的な理由

先日、このブログで「教員の長時間労働の縮減のためには給特法の改正が必要」だと書きました。何をすればいいのか、わかっているわけです。

にもかかわらず、なぜ法改正へと進んでいかないのか、というのが私の疑問でした。

 

それで、ある国会議員の現役秘書さんのセミナーで勉強してきました。

 

結論からいいます。

教員の皆さんが待遇改善のためにやらなくてはいけないこと……それはロビイ活動です。

 

日本にはいろんな業界団体があります。

例えば、看護師さんの団体、保育士さんの団体……。

各団体にはロビイ活動をする人がいて、自分たちの要求を通すために、その業界を票田というか、専門分野としている議員さんに働きかけているそうですよ。

なんたって全国組織ですから、会員は多いわけで、議員さんも無視はできないですからね。

しかも、各団体には門外不出のロビイングのやりかたがあって、代々伝えられているとか……。

 

国会議員のところには、あちこちからたくさんの陳情があるわけです。

当然、扱いは平等じゃありません。

後援会の会長とか、やっぱり、そういう人からの陳情が優先されます。

いきなり個人が訪ねていったって、優先順位は低いわけです。

つまり、「全国の教員は〇〇党の国会議員Aさんを応援します。だから法改正をよろしく」みたいな話を組織として持ちかけないと、この国では物事が進んでいかないってことです。

そういうしくみになっているんです。

 

教員はどうでしょうか…。

組合はありますが、私の知る限り、どうやら誰もロビイ活動をしていないんじゃないかと……。

 

政治がからんでくると、「教員は政治的中立性が大事なんだ」とおっしゃる方もいるかと思います。児童生徒の前では、政治的な中立性が大事ですよね。それはもちろんです。

でも、教員の働き方を変えるためには、政治的な力を使うことが必要なんじゃないかと思いますよ。教員は全国にたくさんいて、きちんとまとまれば、大きな力になりうるんですから。

 

現在は、教員は忙しい→ロビイ活動をする人がいない→問題が放置され続けるという悪循環にまっています。

このままでは、ずっと、ずーっと続きますよ。

未来のためには、この悪循環から抜け出す必要があります。

それには…教員が新たに団体をつくり、その団体がロビイングを誰かに依頼するのが現実的なのかな、という気がします。

丸投げが許されないなら、教員数を増やしてほしい。

本気で教員の長時間労働を縮減しようと思ったらですね、極論すれば、丸投げすればいいんだと思います。

小学校の場合でしたら、英語も、道徳も、総合的な学習の時間も、体育も、音楽も、家庭科も、業者に任せてしまうんです。担任は教室にいかなくてもいいのです。完全に丸投げです。

でも、そんなことできるわけがない、とみなさんきっというでしょう。

担任がいなくちゃ授業にならないと。

教育の質が落ちると。

先生たちも、文科省も。

世間の人たちも、「教育の質を落としちゃいけない」にきっと賛成です。この国の未来を担う子どもをちゃんと教育してもらいたい、というのです。

 

丸投げが無理だとしたら……教育の質を落とさずに、教員の長時間労働を縮減する方法を考えなくてはいけません。

その一つはですね……教員の人数を増やして一人あたりの受け持ち授業数を減らすことです。

教員の勤務時間は1週間で38時間45分です。

小学校の教員は現在、週23、24時間の授業を受け持っています。

引き算をすると、残りは約16時間。

週5日ですから、1日あたり3時間ぐらいです。

授業は5時間目まであります……授業の準備に何時間かかると思います?

そのほかにも、事務作業、行事の準備、会議などもあります。

勤務時間内で仕事が終わるわけがありません。

現在の日本の教育水準は、明らかに教員の長時間労働に支えられているのです。

 

この構造を変えるには、教員の人数を増やして、受け持ち授業時数を減らす必要があると思われます。

例えば、1クラスに担任を2人置いて、担当する授業を完全に分担するとかね。あるいは、3クラスの授業時数を5人の教員に割り振るとか。

方法はいろいろあると思うんです。

 

「業務改善をしましょう」と言ってるだけでは、仕事量はたいして減りません。

一般企業はワーク・ライフ・バランスを実現しようとする動きがありますが、このままだと、教員に限っては長時間労働の縮減をあきらめてもらうしかない、それが現実ではないでしょうか。

なんとか教員の数を増やすことを検討していただけないでしょうか、文科省様。

教員の長時間労働の縮減には、給特法の改正が必要

教育雑誌では、毎年、「長時間労働の縮減のためにはどうしたらいいのか」というテーマの特集を組むことになっています。もう何十年間もずっとです。

たいてい記事の内容は業務改善でした。学校レベルでできること、教員レベルでできることを紹介してきました。

でも、全然改善しなかったのです。

 

今年も私はこの特集を担当したのですが、今までとはちょっと違いました。

今年は法律的な面を取り上げたのです(詳しくは「総合教育技術」2017年5月号をごらんください)。

そこから見えてきたのは、長時間労働の縮減には、給特法を改正する必要があるのではないかということです。

 

給特法は、昭和47年に施行されました。正式には「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」といいます。

地方公務員の勤務時間は一日7時間45分、週38時間45分と定められています。それを超える時間外勤務をした場合は、労働基準法第37条に則り、時間外勤務手当、休日勤務手当を支払うことになっています。

教員は地方公務員ですから、本来ならばこうするべきなのですが、給特法で労働基準法第37条が適用除外にされているのです。

その理由は、「教員には夏休みなどの長期休暇があるし、自発性、創造性に基づく勤務を期待している」から、他の労働者のように勤務時間を測定するのは難しいと、昭和47年に判断されたからです。昭和47年ですからね。もう大昔の話です。

そのかわりに、給料の月額の4%を教職調整額として支給することにしたのです。教員はどうせみんな残業するだろうから、あらかじめ4%分を多く払っておくから、時間外勤務手当は払わないよ、ということです。

給特法の問題点1●歯止めになっていない

そして、教員の時間外勤務の増大に歯止めをかけるために、給特法では「学校は教員に原則として時間外勤務を命じてはいけない」ことにしたのです。ただ、臨時または緊急の場合は時間外勤務を命じることができるようになっています。これが「超勤4項目」と呼ばれるものです。①生徒の実習、②学校行事、③職員会議、④非常災害の場合、児童生徒の指導に関し緊急の措置を必要とする場合の4項目です。

しかし、教員は上記の①~④で時間外勤務をしているわけではありません。教員は学校の命令ではなく、自主的に時間外勤務を行っていることになっています。つまり、給特法は長時間労働の歯止めにはなっていないのです。

給特法の問題点2●勤務時間に無頓着になった

学校は、時間外勤務手当を払う必要がないわけですから、教員の労働時間を把握する必要がありません。最近は校務支援システムの導入で出退勤をチェックする学校もありますが、全国には、今でもタイムカードさえない学校もあるのです。最近は以前に比べれば、勤務時間への意識が高まってきたかとは思いますが、「働きたければ、好きなだけどうぞ」という状態にずっとなっていたのです。

 

給特法の問題点3●時間外勤務手当を払えない

それなら、「給特法を改正して、教職調整額を支払うのをやめて、働いた分だけ時間外勤務手当をきちんと払えばいいじゃないか」と思うかもしれません。しかし、それは現実的ではありません。全国の教員に、今の状態で時間外勤務手当をきちんと払おうと思ったら、それはそれは大変な金額になり、その財源が確保できないからです。

 

◎給特法をどのように改正するか

では、給特法をどのように改正したらいいのかというと、連合総研の報告書(昨年12月公表)で提案されている調整休暇制度の導入が現実的ではないかと思います。

例えば、教員が時間外勤務をした場合、現在の教職調整額の範囲内で時間外勤務手当を支給します。それを超える分は、時間外勤務をした時間を貯めていって、夏休みや冬休みなどの長期休暇中にその分だけ休めるようにするのです。

ただ、これを実現するには、夏休みや冬休みの使い方を変える必要があります。例えば「半月間、完全に学校を閉める」とか、ですね。この決断ができるのは文科省です。

文科省の皆様が思い切って、「長期休業中は学校を閉める」という決断をしてくだされば、教員の長時間労働の縮減はできるのではないでしょうか。

学校に、〇〇教育はいくつあるのか。2017年7月17日現在39!

学校に関する資料を読んでいると、必ず出てくるのが「〇〇教育」という言葉です。ものすごくたくさん種類がありまして、先生たちは教科の教育以外に、こういうことも学校で教えているわけです。各教科の活動や総合的な学習の時間などにうまく取り入れながら。

そして、これが学校、先生たちを忙しくさせている原因の一つでもあります(この他に、〇〇活動、〇〇学習もありますからね)。

〇〇教育はたくさんありすぎて、教員さえ、全部でいくつあるのか知らないはずです。自分の学校ではやってない〇〇教育が、山ほどあるからです。

ふと、いったいいくつあるのかを数えてみようと思い立ち、調べてみました。

 

情報教育、ICT教育、著作権教育、ネットリテラシー教育、

ネットモラル教育、プログラミング教育、

特別支援教育ユニバーサルデザイン教育、インクルーシブ教育、

人権教育、主権者教育、戦争教育、性教育、小中連携教育、

オリンピック・パラリンピック教育、消費者教育、

LGBT教育、「性の多様性」教育、起業家教育、

環境教育、安全教育、交通安全教育、自然体験教育、福祉教育、

キャリア教育、規範意識教育、道徳教育、心の教育、

外国語教育、国際理解教育、ボランティア教育、多文化共生教育

食育教育、健康教育、

博物館教育、動物愛護教育、図書館活用教育、

NIE教育(新聞を学校教育に取り入れる)、掲示教育

ここまでで39です。

 

もちろん、一校でここにある〇〇教育を全部やってるわけではないですが、各校が、複数の〇〇教育を行っているのは事実です。

新たに見つけ次第、更新します。

「こんなのもあるよ」と、知ってる方がおられましたら、情報提供をお待ちしています。

先生の親身な対応とワーク・ライフバランス

先日、元校長先生にお話を聞く機会がありました。

その先生は若いころ4年生を担任したことがあり、そのクラスが30数年ぶりに同窓会を開いたんだそうです。

先生がトイレに立つと、一人の男性が近づいてきたそうです。

その男性は子ども時代、家庭環境が複雑で、悪さばかりしていました。

先生が担任をしたとき、その子どもを自宅に連れてきて話を聞いたり、勉強を教えたり、いろいろ面倒を見たんだそうです。

その男性が先生に「ありがとうございました」と涙を流しながらお礼を言い、思わず抱き合って泣いたと言っていました。

先生が担任したのはたった1年間でしたが、その子は先生との出会いで「もう悪いことはしない」と決めて、その後もずっと、悪さをすることはありませんでした……。

たった一人の先生がこの子の人生を変えるきっかけになったということです。教育の現場では、こういうことが起こるんですよね。

 

この話を聞いて、私はものすごく感動すると同時に、少々考えさせられてしまったのです。

学校の先生にも今流行のワーク・ライフバランスを考えて行動してほしい…そう思う一方で、気の毒な環境にあって荒れている子どもがいたら、親身な対応で一人でも多く救ってほしい、という思いもあるからです。

「勤務時間は終わりました。はい、終了」では済まないものが学校にはあります。

 

この話は30数年前の話で、今とは先生を取り巻く環境が違います。

今の先生は、昔の先生よりもやることが多すぎます。

授業の準備でも保護者対応でも。

〇〇教育というのがたくさんあって、大変なんですよ。

世の中の企業は「残業を減らしましょう」という流れで進んでいるのに、先生に対しては社会も保護者も「もっともっと」を求めているんですよね。

でも、先生にこれ以上多くを求めるのは酷というもの。

となると、先生に代わって、NPO法人や地域の人が、子どもに親身な対応をするというのが現実的なのかもしれません。

「好き」を仕事にすることと部活動の顧問問題

昨今のように教師受難の時代でも、「子どものころから教師になるのが夢でした」、「子どものころにお世話になった〇〇先生みたいになりたくて、教師になりました」という方がけっこういるのです。

 

基本的に、教師というのは「なりたい人がなる」仕事です。

 

それにはメリットとデメリットがあります。

メリットは、「子どものために頑張ること」を楽しめる、ということです。元々、子どもが好き、教えるのが好き、という人たちは、子どものために頑張ることが苦ではないのです。

デメリットは、最悪の労働条件になってしまうことです。「好き」な人たちはいくらでも頑張ってしまうからです。

部活動の指導が好きな人は、土日も返上して頑張ります。それが楽しいからです。保護者にも子どもにも感謝されますしね。

 

でも、「好き」な人たちを基準にした職場は、普通のテンションで仕事として取り組むスタンスの人にとっては「やってられない」状態になるのではないでしょうか。

 

これは、出版業界にも言えることです。文字をいじくり回すが好きな、活字中毒のような人たちが夜中まで原稿を書いたり、修正したりを繰り返しているのです。そんな人が集まっています。そこに、労働条件を気にするような仕事と割り切ってこなしたいタイプの人が入ってきた場合、さっさと転職していきます。割に合わないし、やってられないからです。

もちろん、頑張り過ぎて体を壊す人もいますけどね。

 

話を教師に戻しますと、

いわゆる普通のビジネスマンの方たちよりも、教師は少しだけ職業選択の動機が強いように思います。

ビジネスマンの方たちも、「あの仕事をしたい」という夢を持って入社するとは思いますが、結局のところ、それができるのはごく一部であり、多くの方は与えられた環境で与えられた仕事をこなすのではないでしょうか。だからこそ、仕事として冷静に取り組めるのだと思います。

それに対し、教師は「好き」でやっている仕事だけに、頑張り過ぎてしまう人が多い、ということです。

 

さて、昨今の部活動の顧問の問題ですが。

部活動の顧問も、「好きでやっている人」と「やってられない」人がいます。

両方の方がいるから、問題が複雑です。

「好きでやってる人」に「やるな」とは言いにくいでしょう。

問題を解決するには、誰かとの衝突が避けられず、それを避けるために、この問題が長い間放置されてきたようにもみえます。

 

そして、頑張る人がいると、頑張りたくない人は、保護者からも子どもからも「非難されているような気分」になります。おもしろくないですよね。社会常識に照らして、あたりまえの権利を主張しているだけなのに。

 

これまで教育現場は「好きでやってる人」を基準としてきました。

でも、時代の流れというか、最近は「教育現場にビジネス界的な発想を取り入れるべきだ」との考え方があり、少しずつ入ってきています。

教師の中からも「やってられない」という声がたくさん上がってきているのだとしたら、「好きでやってる人」に合わせた基準を、そろそろ変える必要があるということなのかもしれません。