日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

通常の学級に在籍する小中学生の8.8%が発達障害の可能性

10年ぶりの調査で、通常学級に在籍する発達障害の小中学生の割合が公表されました。

文科省の調査によりますと、通常の学級に在籍する小中学生の8.8%が学習や行動に困難のある、発達障害の可能性があるそうです。

2012年の前回調査から2.3ポイント増えました。10年間で増加しただろうことは、多くの学校関係者が予想していたことです。

35人学級であれば3人ほどの割合となります。小学校だけの数値を見てみますと、10.4%です。つまり、1割です。

 

例えば、こんな教室あるかもしれません(すべてがこうなるわけではないです)。

突然、歩きだす子、大声を出す子、椅子に座っていられなくて寝そべる子がいたりします。「教科書を開きなさい」と先生が何度言っても、開かなかったりします。

このような1割の子どもたちの動きに目を配りつつ、クラス全体の授業を進めるのは大変なことです。障害のある子どもにも、それ以外の大勢の子どもにもきちんと対応しようと思ったら、担任一人では無理だと思います。支援員さんが1人いても、足りないかもしれません。教室から出ていっちゃった子どもを、追いかけないといけないですし。

 

しかし、今、学校は人手不足です。ぎりぎりの人数でまわしていますので、もしも一人の先生が風邪をひいて休んだら……みんなが穴埋めのために大忙しになってしまうため、休みにくいのです。また、一人の先生が産休に入ると、その代わりに教えてくれる講師が見つからないので、ますます忙しくなります。教頭先生が担任のように授業をしている学校もあります。

こうなると、質の高い授業がどうのこうのとか、言っている場合ではありません。そういう現状があります。

 

そもそもなぜこんなにも学校は人手不足なのかというと、各学校に配置する先生の人数の決め方に問題があるからです。

教職員定数という計算式があって、それに則って各学校の先生の数が決められていますが、実際は、各学校は人のやりくりに苦労しています。

本当はこの教職員定数を増やすべきなんですが、長い間、文科省はそれをしなかったので、学校では先生たちが頭を使って、加配の教員なども駆使して、頑張ってピンチをしのいできました。

 

そうすると、国は、今のままでなんとかなっているから、今の人数で大丈夫だろうと考えてしまうのでしょうね。

それだけではなく、財務省は「少子化なんだから、先生の数を減らすべき」と言い出すわけです。

確かに、子どもの数は減っていますし、今後も減っていくでしょう。

しかし、先ほどもご紹介したように、発達障害の子どもたちは増えています。

 

それともうひとつ、大事なのは、今と昔ではめざしている教育が違うことです。

昭和の時代には、子どもはひとくくりにされるのが当たり前で、一人ひとりの意見なんで聞いてもらえませんでした。「こうしなさい」と大人が決めて、それに従うのが「良い子」の姿でした。

これに対して、平成以降の子どもは、「あなたはどうしたいの?」と聞かれて、自分で選んできています。家庭で大事にされて育ってきた子どもたちを、教室でひとくくりにして扱おうとしても、うまくいかないのです。家庭環境にも格差があって、いろんな子どもがいますし。

それはつまり、昔の先生たちの対応と比較した場合、今のほうが非常に手間がかかる、ということですが、「個別最適な学び」をしなさいと、文科省は言っています。過去のような、一方通行の一斉授業をめざしていないのです。一人一人に合った学び方を提案していこうとしています。

このような文科省が目指している教育をしようとしたら、もっと先生の数を増やす必要があります。少なくとも、風邪を引いて休んだ先生がいても、産休の先生がいても、みんながニコニコしていられるような、余裕がなくてはダメだと思います。

 

今の学校では、発達障害の子どもたちが増えて一人一人に丁寧な対応が求められるうえ、個別最適な学びを、少ない人数のままで進めています。

これでは、先生たちは忙しくなる一方でしょう。

 

もちろん、一部の学校は「働き方改革」をビシバシ進めて早く帰っているようですが、校長先生が変わればほとんどの場合、もとに戻ってしまうということは、根本の解決にはならないのです。もっと大きなしくみを変える必要があると思います。

 

やはり、教員の人数を増やす必要があり、それには、財務省の皆様に、学校の現状をわかってほしいと強く思いますが、文科省財務省が違う方向を向いているのが問題なのです。この国はどこに向かうんでしょう……。