日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

生成AIを学校で使うなと、なぜ新聞は主張する?

2024年4月30日の読売新聞にこんな記事がありました。タイトルが、

宿題もリポートも生成AIが作った「正解」丸写し、教諭は嘆く「これじゃ無料の代行業者だ」

記事を読んでみますと、学校の先生が宿題やレポートを課すと、生成AIに書かせて提出する生徒もいるので、先生たちは困っていますよ、という内容です。

この記事を読んで思ったのは、「困ってる」で終わらないで欲しい、です。生成AIは、いまやWindowsのパソコンを持ってる人は誰だって使えるわけです。「なかった」状態には戻れないのですから、生成AIを使う者がいる、という前提で、先生が少し工夫して宿題を課せばいいのではないですか?
生成AIとのやりとりを宿題と一緒に提出させるとか、対面で説明させる機会をつくるとか……。いろいろあると思うのです。

そもそもですね、この記事の問題はタイトルにもあります。これは読む人に非常にネガティブな印象を与えるからです。新聞は、タイトルだけしか読まない人がいるのです。その人達を狙っているかのような書き方です。

実はこれは、小中学校の児童生徒に1人1台の端末が配られ、GIGAスクール構想が始まったときから続いています。大手新聞は常にネガティブなスタンスで記事を書いてきたように、私は感じています。1人1台端末は子供の健康に悪影響を与えるとか、お金の無駄だとか、そんなことばかり書いてきました。

その結果、何が起きているかと言うと、学校に新聞を読んだ読者から苦情が行くそうです。私はこれまでに取材でたくさんの小中学校へ行きましたが、大手新聞がネガティブな印象を与える記事を掲載するたびに、「そんなものを子供に使わせるな」と苦情が来ると、複数の校長先生から聞きました。新聞記事が学校の先生たちにストレスを与えることもあるのです。

別に記事の中で問題点を指摘したっていいんですよ。ただ、今はいろいろな問題が出てくるだろうけれども、みんなで時間をかけて改善していこう、のような視点が感じられないのが問題です。

大手新聞が、特にITの学校への導入に対してネガティブな印象を広めるかのような記事ばかり書き続けるのはなぜでしょう。
「国民が小学校からパソコンに慣れ親しんでいくと、将来、誰も紙の新聞を読む人がいなくなるのでは……」という危機感があるんじゃないかと勘繰ることもできます。

新聞社が自分たちの組織の存続のために記事を書いているのだとしたら、「新聞に書いてあることが正しい」と信じている人たちを裏切っていることになります。

もしもですよ、ネガティブな印象の記事を書いて世論を動かし、IT関係のものを学校から追い出したら……この国にはどんな未来が待っているのでしょう。新聞だけが生き残るとは思えないですけど。それより時代に合わせて生き残る方策を考えていったほうが建設的な気がします。新聞の記事を頼りにしている人たちのためにも、未来のことまで考えて記事を書いていただきたいなと思っています。