日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

カリマネと専門家の主張

大学時代に全くお世話になっていない、最近出会ったばかりの先輩よりメールをいただきました。

その方は某有名企業でマーケティングを担当しているそうです。

会社の中ではえらいんでしょうね。

そのため、「世界は自分を中心に回っている」と錯覚していらっしゃる模様……。

とっても上から目線です。

日本の教育、教員は全然ダメで、企業、会社員はえらいんだ、みたいな前提で物事を考えておられます。

私が教育関係の仕事をしていると知り、一言、自分の意見を披露してやるから、ありがたく聞け、そんな感じのメールでした。

 

その人の主張は「マーケティングは重要であるから、中学校や高校で教えるべきだ」というものです。

「べきだ」ですよ。

こういう場合、私は特に反論しません。

なぜかというと、大事なことは世の中にたくさんあるからです。

そもそも専門家はみんな、自分の専門分野が「この世で一番大事だ」と思っているものだからです。数学者は数学が大事だといい、心理学者は心理学が大事といい、税理士さんは税金教育を、弁護士さんは法律教育を、と言います。

マーケティングも大事なんでしょう、きっと。

 

私はこのように返信しました。

「おっしゃる通りです。ぜひ先輩が中学校や高校のオーナーになって実現してください」。

本気でこの国の子どもたちの将来を心配しているのでしたら、公教育に任せたりしないでくださいね、という話です。

ご自分が私財をつぎこんで校長になり、カリキュラムを編成する立場になって、どんどんマーケティング教育を進めていただくといいと思います。本当に大事だと思っているのなら、誰かに任せるのではなく、何をどのように教えるのか、どんどん具体化していただきたいと思います。

全然現場とは関係ない場所で、「するべきだ」なんて、ふんぞりかえってないで。

 

文科省は専門家を集めてよく会議をしていますが、専門家は自分の専門分野が一番大事だと言うものです。だから、各分野の専門家を集めたって、話がまとまらないんじゃないでしょうか。

それより大事なのは、各分野の専門家たちより一段上から、彼らの意見を踏まえて、子どもたちにとって本当に何が必要なのかを考え、教科ごとのバランスを考え、カリキュラムを組める専門家だと思います。

だから、長いビジョンと、広い視野を持った人たちの会議こそ、実は教育の方向性を決めるうえでは重要だと思うのですよ。

 

文科省は、この国の未来を見据えて子どもに何が必要なのかの方針を決め、

県や市の教育委員会は、国の方針を踏まえつつ、地域の子どもに何が必要なのかを考え、

学校では、国、県、市の方針を踏まえ、校長が自校の教育目標を考え、その実現のために何が必要なのかを考えるわけです。

そして、先生も、学校の教育目標を実現するために、何をどんなふうに教えたらいいかを考えるわけです。

新しい学習指導要領では、カリキュラムマネジメントという言葉がよく出てきますが、結局、その学校の教員が同じビジョンを持って、指導を進めていきましょう、ということだと思うんですよね。

 

さっきのマーケティングの話に戻りますと、先輩には、まずは塾でもNPOでもいいので、校長になっていただいて、自校の教育目標を考えてみてほしいんですよ。

教育目標は、立派なビジネスマンに育てる、でしょうか?

(すべての子どもがビジネスマンになりたいわけじゃないとは思いますけど、ビジネスマンになりたい子どもだけ集めるとか……。) 

そのために、どの科目を教えますか。

国語、数学、理科、社会、道徳、英語、体育、音楽、図工などよりも、マーケティングは大事でしょうか。授業時間数は限られています。各科目で時間の取り合いなのです。そんな中で、マーケティングに週何時間使って、内容は何を教えますか。

そこのところをよーく考えて、カリキュラムを組み、ぜひ実現していただきたいなと思っています。

人に「やれ」と命令するんではなく、ご自身でお願いします。

それは専門家にこそ、できることであるはずです。

そして、賛同者を増やしてはいかがでしょうか。

教員の働き方改革と同時に、少子化対策が必要。

各地の教育委員会へ取材に行くと、目の当たりにするのは少子化の現実です。

どんどん子どもが減っています。

取材に行った東北地方のある県では、学校の統廃合をどんどん進めています。でも、5年でまた統廃合が必要になってしまうそうです。

東京23区でさえも、ごっそり減っています。1学年1クラスの小学校、中学校なんていうものがあったりします。

 

こんな未来、30年前には誰も予測していなかったんじゃないでしょうか。少なくとも私は全然予想していませんでした。人口はどんどん増えていくもんだと思っていましたし、田舎はどんどん発展するもんだと思っていました。

でも、30年前よりも田舎はさびれています……。人がいないし、活気がないし。

そして、当分、この状況は変わりそうにないわけです。

昔は子どもが増えて、学校がどんどん増えていったのに……。

 

教育に話を戻しますと…。

財務省は、教員の数を減らせというわけです。その理屈は理解できます。

だって、子どもの数が明らかに減ってるわけですから。今後も減ることがわかっていますからね。

 

でも、子どもの数が減っても、教員の仕事は減りません。

なぜなら、学校で何か事件が起きるたびに、新しい仕事が増えていくからです。

いじめの事件が起これば、いじめ対応。

不登校が増えあっということが問題視されれば不登校対応。

スマホで事件が起これば、スマホ対応。

子どもが多数集まっている場所で、何も事件が起きないなんてことは、今後もありえませんからね。これからも増えていくしょう。

それから、世界各国と比べて学力がひくくなれば、教科指導の改善もしなくてはいけないわけで。

これからも仕事が増えていき、それを止めることは誰にもできないんですよね。

 

さらに、子どもが減ると、学校に配置される教員の数が減ります。

「子どもが何人いるから、教員を何人配置しよう」という原則があるからです。

しかし、各校に基本的にある仕事量は変わらないわけですからね。

行事の準備など、教員の人数が少なければ、1人当たりの負担が増えるわけです。

 

子どもが減ってるにもかかわらず、教員の仕事は増える一方という、この悪循環をどうするのか。

その解決策のひとつとして、全国的に学校の統廃合が進んでいます。

統廃合によって、1学校あたりの教員の人数が増えれば、仕事を分担できるので、校務の負担が減るからです。

しかし、これは地元のみなさんが、大反対します。地元に代々あった小学校がなくなってしまうんですから。子どもも遠くからスクールバスで通わなくてはならないので、不便です。そんな不便な場所に新しい家族が引っ越してくるはずもなく、ますます過疎化が進むんじゃないか、なんて懸念もあります。

 

統廃合によって教員の負担が多少軽減されたとしても、全然明るい未来が見えてこないんですよ……。

 

現在、教員の「働き方改革」をしなくてはいけなくなったのも、大元は少子化のせいです。学校が働き方改革を進める一方で、政治家の皆様は少子化を早くなんとかしないと~ですよ。

高校無償化なんて、生ぬるいんじゃないでしょうか。

例えば、「子どもがいる家庭は、ものすごく得する、かえってお金持ちになれる」ぐらいの大胆な政策が必要なんじゃないかと思います。でも、お金目当ての親が子どもをたくさん産むようになったらなったで、今度は産みっぱなしで無責任だ、という問題がでてくるわけで。

やっぱり、普通の人が、普通に子どもを産み育てたいと思えるような社会にならないとダメだとは思いますが、そんなこといってたら何もかわらないまま時間だけが過ぎていきます。とりあえず、大胆な「子持ちは金持ちになれる」政策を実施してみるのもいいんじゃないかと思う次第です。

教員の働き方改革 こんな研修はいかがですか。

文科省有識者を集めて、「働き方改革」という名の業務改善を進めています。

業務改善、大事です。

整理整頓、大事です。

全国の学校では、「この仕事、やる意味ありますか?」のような問答が、研修などで行われていることでしょう。

 

その動きを否定するつもりはありませんけど、結局、これまで学校で行われてきたことは、みんな大事なんですよね。

やったほうがいいことです。

だから、そう簡単に切り捨てられません。

なぜなら、「他にやる人がいないから」。

そう言っていろんなことを請け負ってきたのが、学校の先生たちです。

そういう意味では、先生たちの子どもを思う気持ち、使命感の強さには、頭が下がる思いです。

別に「褒め殺し」をしているわけじゃないですよ。学校の業務量を理解したうえで、本当にそう思ってます。

 

例えば、「うちの子、スマホを夜遅くまでいじってて困ってるんです。私が注意しても全然言うことをきかないんです。学校でやめるように言ってください」と保護者からお願いされます。

そうすると、学校は考えます。

スマホ持ち込み禁止にする、放課後に塾へ通う都合で持ち込みたい子どもは申請し、持っててもいいが校内では使ってはいけない。

スマホの使い方を指導する

本来は、学校は①でいいわけです。スマホは親が買い与えているものですから、家庭でルールを決めて使わせるものです。ただ、家庭が協力的な地域では①も可能ですが、そうではない地域の場合、子どもはやりたい放題になります。その結果、子どもは睡眠不足になり学校で寝てるようになるわけです。SNSのトラブルも起きます。だから、②をしましょうという話になります。こうやって学校がいろんなことを請け負ってしまうわけです。

それに、②のほうが、保護者の満足度は高いですからね。そっちを選びたくなりますよね。で、一度始めたらやめられないわけです。「去年はしてくれたのに」と保護者からあてにされますからね。

 

「働き方改革」に話を戻しますと、学校がこれまでしてきたことを「やめる」決断は難しいのではないでしょうか。

だとしたら、「誰かに任せる」ことです。

(「自分でやったほうが早い」というのはナシですよ。これを言ってる限りは変わりませんからね。最初は自分でやったほうが早くても、人に任せれば、その人がだんだんうまくなります。最初から100%を期待しても無理ですよ。)

校内研修では、この仕事を誰に任せられるか、を検討すべきでしょう。責任を持ってきちんとやってくれる人は誰なのか、みんなで意見を出し合って決めるのです。

できれば、報酬を払ったほうがいいですよね。「ボランティアなので責任は持ちません」じゃ、困りますから。当然、校長先生は、いくら必要なのかを計算し、教育委員会に相談するなり、資金調達の方法を考えるなりしないと…です。

例えば、スマホの指導なら、以下の人に任せられます。

①PTA役員にイベントを企画してもらう、②IT企業に勤めている保護者、地元のIT企業に相談する(親会社が教育プログラムを持ってる可能性があります)、③そういう分野を得意としている地元のNPOに授業をしてもらう、⑤地元の高校生や大学生のグループに授業をしてもらう

もちろん、任せた人と教員は打ち合わせをする必要があります。教員の仕事量がゼロになるわけではありません。それでも、教員がその分野を一から勉強するよりはずっと負担が減ると思うんですよ。

 

給食指導なら、①地元の敬老会、②保護者、③教員OB,OG 

報酬は、給食1食分で。

こんな感じで、今ある仕事をやめるのではなく、「誰かに任せる」という発想で、「働き方改革」を進めてはいかがでしょうか。

 

学力上位の県こそ、働き方改革をしてほしい!

10月は、平成29年度の全国学力・学習状況調査の結果で上位になった自治体、学校の取材をしていました(まだ雑誌の発売前なので、どこに行ったかは書きませんが……)。

 

今回の取材の主旨は学力向上です。ですから、学力向上のために自治体、学校ではどんなことをしているのかを聞いてきました。

ただ、私は今回、自治体には、働き方改革の質問もしてみました。

「もしも何か、とっておきの方法があったら教えてください」と。

その結果、返ってきたのは「担当部署が違うのでよくわかりません」という返事です。

当たり前と言えば、当たり前ですが、ここに問題があると思うのです。

学力向上は学力向上、働き方改革は働き方改革と、縦割りでやってるから、現実的な改善策が出てこないんじゃないでしょうか。

 

学力向上チームは、学力向上の目的を達成することだけ考えて対策を考え、「子どものため」に仕事を増やし……、一方、働き方改革チームは、他の部署と関係なさそうな業務改善だけしている……。

 

業務改善は大事だとは思うんですけど、学力向上のために仕事を増やしてたら、働き方改革にはならないと思うんですよ。

 

学力向上の対策を考える会議に、働き方改革のチームも入って、教員に無理がかからないかどうか、検討すべきでしょう。具体的に、新たに何を始めて、反対に、何をやめるのか、あるいは、これは2年に一度にしましょうなどと頻度を下げるとか、一緒に吟味する必要があると思います。そうしないと、仕事は増える一方です。

 

それともう一つ大事なことはあります。

全国学力調査の結果が下位の県が「働き方改革」をしても、説得力がありません。「楽をしたいだけ」と保護者や地域の人から非難されてしまうでしょう。それがわかっているから、全国の多くの県では思い切った働き方改革ができないんですよ。

学校で今現在やってることは、みんな大事なことです。やったほうがいいことなんですよ。その中から、あえて何をやめるのかを判断するのは難しいですからね。安易にやめれば、何か事件が起きた時、「あれをやめたからダメなんだ」と言われてしまうでしょう。

やはり、上位の県に、「うちの県ではこれはやめて、教員に余裕ができました。でも、学力は高いですよ」と言ってほしい…。

そうすれば、それがあっという間に、日本中に広まりますよ。他の県も堂々と働き方改革ができます。

上位の県の関係者の皆様には、ぜひ学力向上と「働き方改革」を両立させ、見本になっていただきたいと願っております。

池田中学の事件、校長の責任は重い。

ひどい叱責により、福井県の中学2年生の男子生徒が自ら命を絶ってしまいました。

町にひとつしかない中学校。

生徒数はたったの52人。

町にとって、子どもは宝でしょうに……。

亡くなった男子生徒の気持ちを思うと……つらかったでしょうに。残念でなりません。

 

この件を、いつものように「学校内の悲しい事故」として、なんとなく処理するのではなく、警察に介入してほしいと思います。

学校内の暴力、子どものいじめに警察が介入する時代なのです。教員のいじめにも警察が介入するのが平等というものでしょう。

担任と副担任の責任を追及するべきだと思います。

 

私は、素晴らしい教育者にお会いする機会があります。

びしっと叱ることも大事だとは思いますが、「叱るのとほめるのはセットだ」とある大御所の先生が言っておられました。

叱るだけというのは、その教員の単なるヒステリーであり、児童生徒をストレスのはけ口にしているとしかおもえません。

普通に考えたら、叱った後には「今回は間違ったけど、反省して次は頑張ろう」と思えるような励ましが必要じゃないでしょうか。

 

そして、校長や教頭、周りの教員はなぜ、このようなヒステリー教員の行動を黙ってみているだけだったんでしょうか。

それはつまり……クラスでいじめを見て見ぬふりをする子どもと、同じことを先生たちがしてるってことですよ。「いじめをしてはいけません」なんて言えませんよね……。

 

特に、校長や教頭は、学校の中を毎日ぐるぐる見て回るのが仕事です。

怒鳴ってる教員の存在を、知らないはずがありません。

もしも気づいてなかったのなら、相当のぼんくら校長です。

気付いてたのに、教員に指導しなかったとしたら……校長としての資質がないということです(個人的には「いい人」かもしれないし、教員としては優秀だったかもしれませんが、校長には向いていなかった、ということもあるでしょう)。

 

今回の事件、問題は、校長の学校経営にもあります。

気になる子がいたり、困ったことがあったりした時に、学校体制でみんなで対策を考えるはず、なんですよ。そういうしくみが各学校につくられているはず、なんです。

スクールカウンセラーだっていたはずなのに……(常駐ではないかもしれませんけど、週何回かは来たはず)。

文科省は「チーム学校」っていってるのに、この学校は全然そんなふうになっていなかったということです。

みんなが見て見ぬふり、誰も管理職に相談できない、教員同士も相談できなくて自分でなんとかするしかない、そういう学校の雰囲気にしていることが、この校長の罪です。

 

そもそも学校というのは、児童生徒が毎日元気に登校してきて、楽しく過ごせるような場所にすることが大事で、それができていたら十分だと私は思うのですよ。

勉強はその次ですよ。

みんなが元気なのが一番。

教員が叱り倒して、いじめてどうするよ、って感じですよね。

 

校長の中には、力不足の方がいることは事実です。

残念ながら。

でも、そういう校長に任せた以上は、教育委員会が監督してくださいよ。しっかりと。

アクティブラーニングと逆行する政治の話。

学校は現在、アクティブ・ラーニング(主体的、対話的で深い学び)を積極的に進めています。

今の大人たちは話し合いがものすごく下手だと思うんですけど、だからこそ、子どものころから鍛えていこうとしているわけです。

国は、みんなが多様な意見を出し合って、話し合って問題を解決していく、そういう大人を育て、そういう世の中にしたいわけですよね?

学校はその目的に向かって進んでいますよ。

 

なのに……世間をにぎわす「都民ファーストの会」や「希望の党」を見ていると、言論統制ってなんだそりゃ、ですよ。

自分の意見を言っちゃいけなくて、全然、話し合いは行われていないみたいで、旧時代もいいところです。

独裁者が従順なしもべをつくりだしたいのなら、アクティブラーニングなんて必要ないわけですよ。

明らかに政治のやり方が、時代に逆行しています。

 

私はだいぶ長い間、「教育界、学校って世の中で一番時代から遅れているのかも」と思っていたんです。

きれいごとというか、建前で話す人が多かったからです。

でも、最近、特に今年に入ってから空気が変わってきたと肌で感じていました。

「子どもの目の輝きが~」とか言ってないで、物事を論理的に分析し、自分の意見をビシッという校長先生、教育委員会の担当者が増えているからです。

学校は確実に進化しています。

学校が周囲から一方的に叩かれてる時代は終わったんじゃないかと、私は密かに感じています。

 

というわけで、私が今、世の中で一番時代遅れだと感じるのは……政治家の世界ですよ。

 

全国学力調査と素晴らしい授業の話。

平成29年度の「全国学力・学習状況調査」の結果を受けまして、現在、上位県、上位政令市の取材を行っています。

 

昨日はある小学校で算数の授業を見せていただきました。

子どもたちの動き、反応がよかったです。31人が先生の指示でさっと動きます。

なんて書くと、ロボットのような画一的な動きを想像する方もいるかもしれませんが、そうじゃありません。キビキビと、前向きに、自分の意志で子どもが動いていくんですよ。教室にあるのはプラスのエネルギーです。子どもたちの知的好奇心に火をつけたといいますか、子どもたちをその気にさせているのです。

 

担任は女性の30代ぐらいの先生です。表情豊かで、まるで舞台を見ているかのような気分になりました。

授業ってあらかじめオチが決まっているわけです。先生は知っているのに知らんふりをして、子どもたちから様々な意見を引き出していくわけです。私は授業を見ていたら、「この先生のお芝居に乗せられてみたい」、そんな気分になりました。

子どもたちもきっとそう思ってるんじゃないかと思うんですよ。「この先生、なんかおもしろいから、先生の話に乗っかってやろうじゃん。だから、うま~く乗せてよね」みたいな……。

 

全国学力・学習状況調査に関しては、「競争をあおるべきではない」という批判的な意見もあります。

ただ、これをやることによって、現場の意識が確実に変わりました。以前は、教員たちは「授業で何を教えるか」を重視していたのです。つまり、教員たちは教える方法を熱心に研究し、こんな素晴らしい授業をしているのに、それが理解できない子がいるのは、その子自身の問題だからしょうがないでしょう、とされていたのです。

しかし、学力調査の結果にでてくるのは、子どもがどう理解したか、です。その結果、子どもがどう受け止めるかを重視して、授業を考えるようになったのです。これは非常に大きな発想の転換であり、近年の授業改善はこのような発想で行われています。

そして、子どもにとって「わかる授業」になると、子どもは前向きに授業に取り組みます。子どもの反応がよくなると、先生も楽しくなり、もっと授業を工夫します。そうやって好循環が生まれるわけです。つまり、成績のいい学校が、必ずしもつめこみ式でビシバシ勉強させているわけではなく、むしろ先生も子どもも、授業の中で生き生きしているケースもあるということです。 

 

問題なのは、学力調査の直前に、つめこみで、過去の問題をやらせる学校もあるってことなんですよね……。まぁ、これは文科省がやめろといったって、やる県・学校はあるでしょう。

しかしですね、国語にも算数にも、A問題とB問題があります。A問題はつめこめば何とか点がとれるとされていますが、B問題というのは、直前につめこみをしても点がとれないようになっていますのでね。B問題で高い点を取るには、日ごろの授業が大事、ということです。

 

そんなわけで、昨日見た授業は、子どもたちをその気にさせていて素晴らしかったです。学力調査で上位にくるのも納得です。つめこむのではなくて、こんなふうに全国で授業改善が進むといいなと思っています。