日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

部活動の数を減らせ、と言うのは簡単。でも…。

中学校の部活動改革の話です。

子どもの人数、教員の人数に対して、部活動の数が多すぎる、それはそうだと思います。

放課後、中学生が町をぶらぶらするよりは、部活動でもしてもらったほうが、教員も保護者も安心です。たとえ少人数の部活でも、入ってもらったほうが生徒指導上はいいので、「好きな部がなければ、つくりましょう」と、そういう感じで、長い時間をかけて増えてきたのだと思います。

でも、教員が教科の指導で忙しくなってくると、のんびり部活動の指導などしていられなくて、負担になってしまったわけです。

 

部活動の数を減らす、これは非常に合理的な判断だと思います。

でも、世間でこれだけ部活動問題が騒がれているのに、部活動の数の削減が進んでいかないのは、学校にはこれができないってことだと思います。

なぜか。

それは、子どものニーズに応えられなくなるからです。

学校は、多様化する子どもたちのニーズにきめ細かく対応するのか、あるいは、教員の負担を軽減するのか……。

今は、子どもたちを優先しているってことです。

 

本気で部活動改革をしたいのなら、部活動の数を削減する必要があり、それには…学校は「善人」でいてはダメなんじゃないでしょうか。

ある日、「忙しいんで、テニス部はなくします」と言い放ち、子どもがぶーぶー文句を言っても「ごめんね」で終わり。保護者がクレーム言ってきても「すみませんねぇ」ですませて、教育委員会に保護者が苦情を持ち込んでも「しょうがないんです」と。

それぐらい図太く、悪者にならないと。

例えば、「まったくもう、学校は何もしてくれないんだから」「給料泥棒」みたいに、社会全体から文句を言われることに、教員の皆様が耐えられるようにならないと、部活動改革はできないんじゃないですかね。

「先生はいい人」「先生大好き」と言われることより、「家庭も大事」「プライベートも大事」と言い切れるようにならないと、無理っぽい気がします。

つまり、すべて先生の発想の転換が必要であって、それはなかなか難しいことだと感じております。先生になるような人は、基本的に子どものころから「いい子」で、「いい人」になるように育てられてきているからです。

現在、文科省で働き方改革関連の会議が行われておりますが、私からみると、「いい人」というポジションをキープしつつ、改革をするにはどうすればいいのかを、みんなで一生懸命考えていらっしゃるように見えます。

まぁ、そうできれば一番いいんでしょうけど、「いい人」をキープしながら、改革をするのは現実的には難しいことだと思うのです。

改革をしようと思ったら、学校は「保護者や地域の皆さん、生徒の要望には応えられません」と言わなくてはいけないし、一部の子どもや保護者をすぱっと切り捨てないといけないんですよね……。

いろいろ考えてると、それが果たしていいことなのか、とも思えてきますし…。

 

しかしですね、世間が部活動問題に注目することには意味があって、少しずつ少しずつ、先生たちの発想の転換、保護者や世間の発想の転換が進んでいくんじゃないかと、密かに期待しています。着地点はまだ見えないですけどね。