日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

教職課程で学生に何を教えるべきなのか。

現在、教員志望の学生が大学で学ぶ内容を変えよう、という動きがあり、先月、「教職課程コアカリキュラム」案が公表されました。

もうパブリック・コメントはしめきられてしまったので残念なんですけど…。

私が常々、教職課程で教えればいいのに、と思っていたことは3つあります。

1学級経営のやりかた

これはものすごく肝心なことなのに、今まで大学では教えていなかったのです。教科の指導方法が中心でした。良い授業をするために、教科の指導方法を学ぶことは大切ですけど、学級経営がうまくいっていないと、先生の指導が子どもに入っていきません。そういうもののようです。良い授業をするための前提として、どうやったら学級経営がうまくいくのか、その方法を学ぶことはものすごく重要なことです。

2要支援の児童生徒への対応

発達障害の児童生徒の数が20年前、30年前に比べると増えている、というのが現場の感覚です。しかし、どう対応したらいいのか、大学では教えてきませんでした。その結果、自分で勉強した人はよくわかっているし、勉強しない人は全然わかっていない、という状況になっています。教員によって理解度の差が大きいのです。若手で勉強した人のほうが、ベテランで勉強しない人よりも詳しかったりします。

要支援の児童生徒に、適切な対応してあげてほしいですよね。それをしないと、クラスの中でみんなの邪魔をする悪者になってしまいます。

この点に関しては、新しいカリキュラムにちゃんと入りそうです。

3アンガーマネジメント

以前に、このテーマで取材したことがあり、とても必要だと感じたのです。

教員は聖人君子ではありません。学校は人間と人間がぶつかり合う場所ですから、きれいごとではすみません。いつもニコニコ、みんなから好かれる「いい人」ではいられないことだってあります。

しかも、教員は「こうあるべきだ」という考え方が強めの人が多いそうです。そういう「〇〇するべきだ」は、物事を正したりするのに必要ではあります。掃除の時間にさぼっている子がいて、「なんでもいいよ~」「まぁ、いいか」なんていっていたら、収拾がつかなくなるからです。きちんと「こうするべき」「こうしなさい」とたださないといけない仕事です。

ただ、「べきだ」が強い人の場合、何度言っても従わない人に対して怒りを感じやすくなります。保護者の理不尽な行動、子どもの態度にカチンとくることが当然、あるでしょう。

教員が、何をやりだすかわからない子どもたちを前にして、怒らないほうが無理なのです。

怒ると血圧があがりますし、いつも怒っている人は眉間にしわが寄り、顔が「怒ってるような顔」になっています。そして、そういう人には怒るようなことが後から後から起きてくるのですよ。

本当は怒りたくなくても、人間ですから自分の中に湧き上がってくる怒りの感情を止めることはできません。その感情をどう処理すればいいのか、対処方法を知っておけば、教員たちが少しは心穏やかに過ごせる気がします。

さすがに3は、教職課程には入らないかな、という気がしますが、関連書籍を読むだけでもかなり勉強になりますよ。先生たちにおすすめしたいです。