日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

ぼろぼろの国立大学と、この国の未来

仕事柄、全国のいろんな大学へ行きます。

それでわかるのは、国公立系には、信じられないぐらいぼろぼろな建物を使っている大学があるということです。

先月行った、東京学芸大学は……全部がぼろぼろとは言いませんが、私が入った建物はぼろぼろで、虫の死骸がそこらじゅうに落ちていました。信じられない汚さ、古さです。夜は絶対に近づきたくないです。

数年前、おどろいたのは大阪市立大学でした。敷地の中には、きれいそうな建物もありますけど、私が入った建物(教授の研究室がある建物)は古くて薄暗くて、壁なんか崩れかけているような感じでした。

 

※ちなみに、東京大学は普通にきれいな建物と、年季の入った建物があります。

※でも、埼玉県立大学はものすごく建物がきれいでした。ドラマなどのロケに使われているそうです。

 

それに引き替え、私立大学の新しくてうつくしいこと。

もう、別世界です。

同志社大学も、立教大学も、建物が新しくて、明るくて、びっくりするぐらい快適です。学生さんもキラキラしています。

先月行った目白大学は、マックが教室にずらーっと並んでいて、ゲームか何かを作っているようで、時代の先端を行ってる専門学校のようでした。

 

だいたいの場合、国公立大学はボロボロの建物が多くて、それを見て思うのは、この国にはお金がないんだろうな、ということです。

 

昨日、秋田大学へ行ったので、そこの教授に話を聞いたところ、建物だけじゃなくて、中身、つまり、大学での研究自体が危機だそうです。

すぐにお金に結びつきそうな研究は科研費(科学研究費助成事業)をとりやすいけれど、すぐに役に立ちそうもないもの、基礎研究にはお金が出ないと。

ビジネスの世界では、それは当たり前かもしれませんけど、研究の段階では役に立つかどうかなんて、わからない場合もありますからね。そうやって絞り込んでしまうと、新しい発想、チャンスは生まれてこないんじゃないかと……その教授はおっしゃっていました。

 

今後、国公立大学はどこへ向かうのでしょう。

地元密着の国公立大学は絶対に必要です。

地域の優秀な人材を都会に取られないためにも、特色を出し、独自の魅力を輝かせてほしいものです。

おそらく、これからは大学教授にも、お金を引っ張ってくるセンスが必要、ということなんでしょうね。

喜ぶべきか、悲しむべきか……今はまだわかりません。

 

日本は、OECDの中で、教育にお金をかけない国として知られています。

ほかの国は、もっとお金をかけています。

未来への投資として。

差が出てくるのは、いつでしょう。

日本はこれまで、ノーベル賞の受賞者を多数生み出してきましたが、今後はどうなるのか……。

 

大学でぼろぼろの建物に遭遇するたびに、この国にはもう、未来はないんじゃないかと思えてしまうんですよ。

これが、私の勝手な思い込みであればいいなと思っています。