日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

子どもの管理強化と教員の「働き方改革」

最近、学校をひんぱんに訪問する人たち(大学教授たち)からよく聞くのは、学校が管理的になっている、ということです。

数年前から、学校がスタンダードのようなものをつくって、授業中に机の上に置いていいものはこれ、無言給食、無言清掃……など、子どもたちに様々な場面で「こうしなさい」とモデルを示し、その通りにさせることを良しとする傾向が強くなっていました。これをすると集団の秩序を保つことができ、失敗がなくなります。これはこれで良い面もあるようで、賛否両論でした……。

それが、コロナ禍で、子どもたちにソーシャルディスタンスなどのルールを守らせなくてはいけないので、ますます強まっているようです。

でも、子どもへの管理が強まっている原因はそれだけではないことに気づきました。

教員の「働き方改革」です。

私は今月、学校の「働き方改革」の原稿を書いていたのです。「働き方改革」に熱心に取り組んでいる、Aという小学校の資料を見ていて気付いたのは、学校のスタンダードやルールをつくることで、子どもを管理しやすくし、それによって「働き方改革」につなげているのではないか、ということです。

細かいことまでルールを決めてしまって、みんな揃えたほうが、指導はやりやすいでしょう。子どもたちの声を聞いて、考えさせて……などということをするよりも、ずっと省力化れます。

厳しい先生が、子どもをがっちり管理すれば、子どもは怖いので静かにしますから、そのクラスは確かに静かになります。授業参観でも「静かでいいクラス」だと保護者は安心するでしょうし、校長先生も「〇組の子どもたちの態度は立派」だと褒めるでしょう。子どもは、いろいろ考えなくて済むし、大人が決めたルールを守っていれば褒められるし、失敗もなくなります。

これをすると、みんな丸く収まりますし、満足します。

そういう学校があるんじゃないでしょうか。

 

しかし、学校が子どもの管理を強める方向に進むのは、ちょっと違うのではないかと私は思うのです。

なぜかというと、2020年4月から全面実施となった新しい学習指導要領は、その真逆のことをめざしているからです。

この国の学校が今、育てようとしているのは、上司から言われたことだけをする素直で従順な人材ではないのです。予測困難な社会にもたくましく生き残っていけるような、思考力・判断力・表現力を身に付けて、状況の変化に応じて自分で考えて行動できる人材を育てようとしています。

 

先生方は、ただでさえ忙しかったのに、コロナ禍で大変なことはよくわかります。

ですが、学校でのいろいろなことが、子どもの管理を強める方向に進んでいった場合、将来、自分で考えず、上からの指示を待つだけの大人になってしまう可能性が高いのではないでしょうか。

学校が管理を強めることで、今の大人たちよりも、もっと、従順な大人が増えるかもしれません。

学校にはたくさんの子どもをがいますから、管理する場面も必要でしょうが、わいわいとにぎやかに、子どもが自分たちで考えて行動できる場面も必要です。

この国の学校はとかく、これがいい、となると、極端に針を振り切って、やりすぎてしまう傾向があります。うまくバランスをとっていただきたいなと、願っています。