日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

「働き方改革」の難しさ

2019年12月に、給特法の改正法案が国会で成立しましたので、自治体の判断で2021年4月から学校に「一年単位の変形労働時間制」が導入できるようになりました。

その関係で、今月は変形労働時間制に関する記事を書いていました。

 

書いている中で考えたのは、「働き方改革」についてです。

例えば、ラーメン屋さん。

昭和の時代、町のラーメン屋さんの中には、シンプルな業務用のスープをお湯で溶いてるような店もありました。でも、それでは、競争に勝てなかったわけです。

今、行列ができるような人気のラーメン屋さんは、スープや麺に非常にこだわって、手間暇かけて差別化を図っています。

これは、「働き方改革」的にはダメですが、お客さんは、手間暇かけた、おいしいほう

を選びますよね。

そう、世の中には競争があります。

 

誰がつくっても同じ味の、おいしくないラーメンに戻れますか?

戻れないですよね。

おいしくて、お値段が手ごろのラーメン屋さんができれば、多くの方はそちらへ行きます。味には流行がありますから、同じ店がずっと人気店でいられる保証はありません。

競争は止めることができません。そうやってこの国は成長してきました。

しかし、その結果、消費者は高いレベルのサービスを望み、労働者はそれに応えて働き過ぎてしまっているわけです。

誰もが消費者であり、労働者でもありますから、みんなが消費者として幸せを追い求める一方で、労働者としてはつらくなっています。

 

経営者は競争を避けることはできません。商売を存続させなければならないからです。

競争と無縁に生きるには……「やりがいを求めない、経営者意識をもたない労働者」になるしかないのではないでしょうか。「時給で、その時間内は働くけど、あとは知らない」的な考えになる、ということです。

(社員であってもアルバイトであってもパートであっても、やりがいを求めたり、経営者意識を持っていたりする方がいて、そういう方はもっとお客様に喜んでもらうために、売上をアップさせるためになどと考え、工夫したりします。この人たちは御本人が競争を意識しているかしていないかは別として、競争にかかわってしまっていると思うのです。)

 

学校の先生に話を戻しますと、多くの方は担任として「クラスの子供たちのために何をしてやれるか」を考えます。個人事業主的な意識を持っておられるから、創意工夫をなさいます。

結果として、クラス間、学校間の競争は生まれていました。先生も競争と無縁ではないのです。

日本の教育はそうやって支えられてきましたが……仕事が増え続け、働き過ぎになってしまったわけです。

 

働き方改革」とは、人を増やすか、仕事を減らすか、どちらかをする必要があります。

現状では、教員の数を増やすことができないそうです。

そうなると、仕事を減らす、ですが、業務改善にも限界があります。

「したほうがいい」ことがたくさんあり、仕事を減らす判断は難しいからです。

先生が働き過ぎないようにするには、学校から競争を排除し、先生は「やりがいを求めない、経営者意識をもたない労働者」になり、仕事を時間で区切る必要があるように思います。時間が来たら、帰っていい。時間内でできるところまでやれば、それでよい、と。

仮にこれをしたら、先生という仕事はものすごくつまらないものになるでしょうし、文科省のやろうとしている高度な教育は、全然できないでしょう。

(時間で区切るのは現実的ではないですが、定期的に業務改善を行うことには意味があるのかもしれません。一時的に仕事が減っても、競争原理で少したつとまた仕事が増えるでしょうが、定期的に行い続ければ……。)

 

つくづく働き方改革は難しいです。

働き過ぎは、教員にかぎらず、この国全体を苦しめていますが、どうにもなりません。

 

世の中には頭の良い方というのがいらっしゃいます。脳の処理能力が優れている方が。そういう方は生産性が高く、限られた時間内で高いパフォーマンスを発揮できるのでしょう。

でも、私のような凡人は……人よりも時間をかけ、手間をかけなければ、生活できないんですよね。残念ながら。

編集者は、つまらなくてもいいよ、なんでもいいよ、なんて言ってくれないですからね。

こんな凡人の私が働き過ぎずにこの仕事を続けていくのは、難しいことです……。