日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

いじめを考える②きゅうりの話

 先日、イタリアで暮らしていたことがある、という人から話を聞く機会がありまして、ちょっと興味深いことを聞きました。

その方いわく、「イタリアでは、きゅうりは量り売りなのよ。大きいのも小さいのも曲がってるのも、どんと売場に置かれていて、自分の好きなのを選んで買うの。一人暮らしとかで、少しだけ食べたい人は小さいのを選んだりするのよ」と。

現地の人たちは、見た目よりも、残留農薬のほうを気にするそうです。だから、まっすぐでなくてもあまり気にしないで買っていくんだそうです。

 

日本のスーパーのきゅうりは、というと、まっすぐで、長さがそろったものがきれいに袋づめされています。

それ以外のもの……基準よりも短かったり、細かったり、曲がっていたりするものは売場には出てきません。それは、商品価値が低いということを意味します。

それが当たり前になっていて、誰も疑問を感じていませんけど、「こうじゃなきゃいけない」の基準がこの国は厳しいってことだと思います。

 

しかも、「こうじゃなきゃダメ」の刷り込みが、スーパーのような日常的な場面で幼少期から行われているということです。

多様性が大事と、みんな頭ではわかっているけれど、実際にスーパーへ行ったら、形のいいのを選んでしまうわけで。

もしも親が子どもに「きゅうりを買ってきて」と頼んだとして、子どもが曲がったきゅうりを買って帰ってきたら、親は「こんな曲がったの買ってこないでよ」というに違いありません。

これはつまり、多様性を社会が認めていないってことではないでしょうか。

 

「たかがきゅうりのことで大げさだ」といわれるかもしれませんが、日本のスーパーでも野菜の量り売りをしたらどうでしょうか。

長い時間がかかることですが、そういう意識から変えていかないと、多様性を生かした社会の実現は難しいんじゃないかと思いますし、誰かを仲間はずれにする子どもたちを、責められないような気がします。