日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

小学校の教科担任制と「専門性の向上」への懸念

2022年度から小学校の高学年に教科担任制が導入される見込みとなりまして、今月はその取材をしていました。

 

教科担任制については、地域によって実施状況にばらつきがあります。

故郷の群馬県では、私が小学校のころですから、もう何十年も前から一部教科担任制を行っていました。

東京都などは、理科や音楽の専科教員がいて当たり前な感じになっています。

そういう地域に住んでいる人にとっては、何をいまさら、な感じがありますが、地域によっては今現在も、一人の担任が全教科を教えているそうです。

 

もともとこの施策は、「学校における働き方改革」に関連して出てきたものです。ですから、教員の負担を軽減することが重要です。

教科担任制の教員にとってのメリットとしては、①担当する教科が減るので、教材研究にかかる時間が減る、②空き時間ができるので、就業時間中に事務作業ができる、③特定の教科に集中できるので、教科指導の専門性が高まる、などが挙げられています。

一方、子どものメリットは、①授業の質が高くなるので、よくわかる、良い授業が受けられる、②教員にゆとりができるのでデータなどを分析する時間ができ、一人一人をよく見てもらえてきめ細かい指導が受けられる、などがあります。

 

私が気になるのは教員側のメリットの一つである「教科指導の専門性の向上」です。

今年10月、中教審初等中等教育分科会が「令和の日本型学校教育の構築をめざして」(中間まとめ)を公表しました。その中に、小学校高学年に教科担任制を導入する必要がある、と書いてありますが、何をすることが「専門性の向上」なのか、はっきり書かれていないのです。

ヒントになりそうなのは、「中学校以上のより抽象的な高度な学習を見通し、系統的な指導による中学校への円滑な接続を図ることが求められる」の部分です。系統的な指導をしなさい、ということです。たったこれだけです……。

 

先生たちはまじめな方が多いのです。このまま教科担任制を導入すると、どこまでも専門性を追究してしまう人がでてくるような気がします……。

例えば、中学校で教えていることを小学校でも触れなくては……、発展問題にもっとチャレンジしなければ……、私はこの教科のプロフェッショナルになろう、などと思って頑張ってしまう先生もいるかもしれません。

 

そもそも国が求めている「教科指導の専門性」とは何でしょうか。本当は、まずはそれを明らかにする必要があるように思います。

国が言わないなら県教委が、県教委が言わないなら市教委が、市教委が言わないなら校長先生が、「求めている専門性とはこういうもんだ」と、めざすもののゴールを先生たちにしめしてほしいと思います。

 

その場合、地域によって、学校によって求める専門性が違ってもいいと思うのです。

例えば、学力の高い地域、学校であれば、高度なことを教えられるようになるのが専門性なのかもしれません。全く新しい教材を開発するのが専門性かもしれません。

逆に、学力の格差問題や、生徒指導上の課題を抱えているような地域でれば、下位層の子どもにもわかるように、徹底的にわかりやすく指導することが専門性なのかもしれません。

あるいは、子どもたちから多様な意見を出てくるような授業をすることが、専門性と解釈してもいいと思うのです。

細かいことをいえば、教科によっても、求められる専門性は違ってきてもいいと思うのです。

 

少なくとも、もう少しやることの範囲を絞る必要があるのではないでしょうか。

この国の教育施策を見ていると、ゴールを示さないことが多いように思います。

その理由は「例を示すと、それに縛られて取組みが限定されてしまうから」。

それも一理あります。現場でもっと発展させ、高めていってほしい、という発想です。

しかしですね、そんなことをいっていたら、働き方改革なんか永久にできないと思います。

 

先生たちの負担軽減を目的とするのであれば、ここまですればよい、というゴールを最初に決めて、やることを絞り込む必要があると思います。