日本の教育を考える

日本の教育が少しでも良い方向に進化していってほしいなと願いつつ、感じたことを書いてみます。

オンライン授業を実施している熊本市から学ぶこと。

公立小中学校の場合、現在、オンライン授業ができる学校とできない学校があり、教育格差が生じるのでは……と問題視されています。

そんな中で成功例として紹介されることが多いのは、熊本市です。

現在、熊本市内の全小中学校でオンライン授業を実施しているそうです。それができたのは、市が2018年度から教育ICTプロジェクトを進めてきたからです。

おそらく日本中のどこの市でも、近年、教育のICT化推進を掲げて、研究指定校などを設置して少しずつ進めてきていたはずです。

いったい熊本市は何が違ったのか。

 

おそらく熊本市は「本気だったから」だと思います。

その背景には、熊本地震があります。

熊本地震が発生したのは、2016年(平成28年)4月14日(木)、21時26分でした。

翌15日(金)から、熊本市内の全小中学校(小学校95校、中学校42校)は休校になりました。

同時に、多くの学校は避難所になりました……。

5月に入り、徐々に学校を再開させていき、全小中学校が再開したのは、5月10日(火)でした。

休校期間中に先生たちは、歯がゆい思いをしたと思うのです。その当時は、熊本市の学校は特にICT[化が進んでいるわけではありませんでしたし、全国の他の地域の学校は普通に授業を行っていたわけです。熊本県の休校になった学校の子どもたちだけ、学習が遅れてしまうのですから……。

このような経験があったからこそ、また休校になっても大丈夫なように、本気で考え、取り組んできたのでしょう。

 

誤解のないように書いておきますと、熊本市では、1人1台が実現しているわけではないそうです。現在、市内の小学校にあるのは、3人に1台のLTE回線対応のiPadです。

3月末にアンケート調査を行ったところ、3分の2の家庭は、ネット環境があって家庭のPCなどの端末が使えることがわかったので、それを使ってもらうことにし、環境がない家庭には学校のiPadを貸し出し、全員がオンライン授業に参加できているんだそうです。

LTEの端末にしたというのもポイントです。

休校になったら家庭でも学習できるように、wifiがなくてもつながるようにしたわけです。

 

何が言いたいのかというとですね……。

熊本市がオンライン授業ができているのは、困難な状況を経験してきたからです。

現在、オンライン授業を実施できていない学校の先生たちは、きっと歯がゆい思いをなされていることでしょう。

でも、急に準備が整うわけではありませんから、今はできることをするしかありません。

ただ、この経験を今後に生かし、たとえ休校になっても子どもたちが学べるように、学校のICT化を本気で進めていっていただきたいなと願っています。

 

9月入学…4か月後に実施するのは反対。実施するなら段階的に。

全ての学校を9月入学にしろと、

高校生が署名活動をしているそうですね。

こうやって高校生が自分たちの主張を持ち、行動を起こすこと事体は、素晴らしいと思います。

小学校、中学校、高校の先生たちが、アクティブラーニングや主権者教育を行ってきた成果でしょう。

 

9月入学に変えることに関して……。

今後のために、世界の大学と、日本の大学が入学時期を合わせる必要があることは理解できます。

(ただし、仮に日本でコロナ禍が終息したとしても、他の国はどうなるかはわからないわけです。今までのように各国が留学生を歓迎するかどうかどうかは不透明です。日本だって留学生を受け入れるのには慎重になるでしょうし、日本人を受け入れてくれる国は限られてくると思いますが。)

 

今回は、どうせなら大学も、高校も、中学校も、小学校も、保育園も幼稚園も全部入学時期を変えてしまえ、と言われてるわけですが……、それには反対です。

それを実行するのは、4か月後ではないと思います。

現在の混乱に乗じて、えいやっと強引に進めるべきではないでしょう。

 

そう考える理由は二つあります。

一つ目は、文部科学省のお役人は、あまり事務処理能力が高くないんじゃないかと思うからです。

みなさん、昨年11月、大学入試への英語の民間試験導入が延期されたことを覚えていらっしゃるでしょう。

英語の入試方法を変えること、その考え方自体は間違ってないと思いますが、準備が間に合いませんでした。

 

今回の件でも、「9月入学」という考え方自体は間違ってないと思います。

しかし、たった4ヶ月で幼稚園・保育園から高校、大学まで、全部の校種のしくみを変えることができるとは思えません。現場の混乱が予想されます。

しかも、9月にコロナの感染状況がどうなってるのか誰にも予測できない中で、9月に入学と決めるんですか!? それは乱暴だと思います。

学校の先生たちの中には、変化にすぐに順応できる人もいますが、そうでない人もいるでしょう。不安定な日々の中で、さらにこんな大きな変化を受け入れるには、心の準備が必要な人も多いのではないかと思うのです。

今、年長さんになったばかりの保育園児で4~8月生まれの子どもは、いきなり9月から1年生になってしまうわけです。本人も保護者もびっくりでしょう。

これらは論理的な理由ではありませんが、人の気持ちも大事だと思うんですよ。

 

 「9月入学」へと変えて行く、と決めるのはいいですけど、実施は段階的に行うべきです。

高校生が望むのなら、まずは高校と大学から。

例えば、2020年度は高校と大学。

2021年度は中学校、2022年度は小学校とかね。

いろんなやり方があると思います。

国として方法などを検討していただくのはけっこうですが、4か月後に全校種で一斉に実施なんてことは、できればやめていただきたいと思っています。

 

 理由の二つ目は、文部科学省にとって今、大事なのは、9月入学の検討をすることよりも、現在、休校中の全国のすべての子どもたちに、学びを提供すること、その支援をすることだと思うからです。

例えば、文部科学省には教科調査官という優秀な先生たちがたくさんいるわけです。その人たちが中心になって、各教科の授業動画をつくったらどうですか。

そして、それを例えば、テレビで放送するんです。

テレビなんて、時代に逆行すると言われるかもしれませんが、コンピュータ一人一台が配備されるまでのつなぎとして、今、ほぼすべての家庭にあるのはテレビなんですから、テレビを使うべきだと思います。

緊急事態なんですから、文部科学省が地上波のチャンネルを作って、一日中、授業動画や文化を紹介するような動画を流せばいいんではないでしょうか。

国がやろうと思えばできるんじゃないですか!?

家にコンピュータがない、wifiがない、スマホはあってもギガが足りない、そんな子どもたちのために、ぜひ文部科学省がテレビ放送をしてほしいと私は思っております。

児童生徒1人1台コンピュータ配備……今、どうなってるのか。

〇〇市では双方向のオンライン授業を始めた、などと話題になっております。

うちの地域ではどうなってるんだ、と思う保護者の方、知識人の方もいることでしょう。

双方向のオンライン授業を行うには、子どもが家庭で使うためのコンピュータや端末が必要です。

今、行っていない学校は、1人1台が実現していないということです。

そうです。

1人1台を、まずはなんとかしなくてはいけないのです。

 

私は今月、一人一台コンピュータ配備+個別最適化の取材をしていたのです。

(その記事は、5月15日発売の「総合教育技術」に掲載されます。月刊誌なので、このような緊急事態にはタイムラグができてしまうんですが……。)

 

その関係で、専門家の方にお話を聞いてきましたので、1人1台の現状を書いておきます。(もちろん、記事に書かれていないことです。)

端末については、地方財政措置で2018年度から3クラスにつき1クラス分を整備しましょう、ということで進めてきたわけです。

しかし、なかなか進まないし、やっぱり1人1台が必要だろう、ということになり、それにプラスして、2019年12月に「GIGAスクール構想」が登場しました。これにより、残りの分(3クラスにつき2クラス分)は、GIGAスクール構想の予算を使って整備していくことになっていました。

コロナ禍前の予想としては、2020年度末には1人1台が実現する自治体が出てくるのでは、そんな感じだったようです(自治体によって時期は異なります)。

あと一年早ければ……だったんですが、今後、少し早まる可能性があるようです。

 

今、どうなっているかといますと……。

GIGAスクール構想からは、端末の他に、学校内のLANなどの環境整備のお金が出ます。

しかし、端末の中に入れるシステムやアプリ、学校から外の回線は、自治体負担になります。

それもあって、今、各教育委員会はどの端末にするのか、どのシステムを使うのか、どうやって工事を進めていくか、などに頭を悩ませています。

そして、それと同時に、端末やシステム、アプリの国内外の各メーカーは必死の攻防を繰り広げています……。このご時世に、学校に納入できたら大きいですからね……。

 

問題は、町や村の教育委員会の、数少ない指導主事さんが、「ICTに全然詳しくない人」の場合です。

例えば、校内の環境を整備するとき、各学校が、昔からつきあいのある、地元の、文房具屋さん、紙の教材の納入業者さんなど、全然詳しくない業者さんに丸投げするケースがあるそうです。そりゃ、業者さんは新しい仕事が欲しいですからね。「できます」と言うでしょう。

そうするととんでもないことが……。

業者さんに丸投げする前に、文部科学省にお願いしてICT活用支援アドバイザーを派遣してもらって相談したり、あるいは県内のICTの整備が進んでいる市町村に電話して相談してみるなどしたほうがいいようです。

 

市教委の先生方、校長先生には、英断が求められています。

昔からのつきあいは、他のものの納入で継続していただいて、GIGAスクール構想では、子どもにとって本当に使いやすい端末・環境、本当に必要なシステム(ゴテゴテと機能が多ければいいってもんじゃないので)を吟味していただきたいなと願っています。

この歴史的転換期に。先生たちを応援しています。

2020年度の全国学力・学習状況調査が中止されました。

この全国学力調査は2007年から実施されていますが、中止されたのは二回目です。

一回目は、2011年。東日本大震災の年です。

つまり、この全国規模の調査が実施できること自体が、平和の証であったのだなぁと、今さらながら感じています。

ただ、これまで通りのやり方で、今後、実施する必要があるのかというと、それはどうでしょう。

新たなやり方を検討する必要があります。

今までやってたから、という理由では実施する意味はないと思います。

 

今、日本の教育の構造そのものが大きく変わりつつあるからです。

これまではクラスの子ども、30人なり、40人なりが一か所に集まるという前提で学校教育は成立していました。

OECDPISA調査の結果を見ても、日本の子どもの成績は常にトップクラスで、この仕組みはものすごくうまくいっていたと思うのです。

しかし、うまく行き過ぎていたがゆえに、柔軟性を欠いてきていました。

戦後、長い時間をかけてがっちり固められてきたシステムです。

子どもの数が減ってるのに、

不登校の子どもが増えているのに、

外国籍の子どもが増えているのに、などなど、状況は変わっているのに、別に大元のシステムを変えなくてもいいだろうと、部分的にちょこちょこ修繕しながら、ここまで来てしまったのです。

 

今回の緊急事態により、30人なり40人が同じ場所で一斉に授業を行うという前提は崩れました。

非常事態です。

誰もが手探り状態です。

この混乱期に、日々、子どもたちのために考えて行動されている先生たちには本当に頭が下がります。

 

ただし、文部科学省が言ってることをやってれば、OKではないと思います。

文部科学省はわかってない、その通りだと思います。

文部科学省が言ってることをやれば、うまくいくとは限りません。

もちろん、全国一緒は無理です。

文部科学省からの変な指示には、校長先生がうまく「やってるふり」をすればいいのではないでしょうか。

 

学校の中には、保護者がしっかりしていて、そんなに学校が介入しなくてもいい学校もあれば、学校がしっかり導いていかないといけない学校もあると思います。学校の実態に合わせないといけないわけです。

とにかく今、各学校が、学校の実態に合わせて、できることをする、これが大事ではないかと考えます。

 

しばらくは、全国の子どもがみんな、通信教育になるのです。

カドカワがやっているN高校のシステムなども参考にしながらできることをしていくしかないでしょう。

ただし、映像授業については、校内にものすごく詳しくて、そういうのがものすごく好きな人がいない限りは、無理して作成しなくてもいいと思います。

作ったら間違いなく、映像の質、授業の質を、全国規模の有名な塾や予備校と比較されるからです……。貴重な時間を使って「とりあえずのもの」を作成するよりも、今は、あるものを探して使っていくというのが賢明ではないかと思いますよ。

 

おそらく、課題の出し方、子どもとの接し方など、先生たちが考えてどんどん進める学校が出てくると思うのです。そういう学校からまずは動きだしてもらって、良い例をつくって、広めていっていただきたいところです。

チャレンジすると、失敗することもあると思いますが、失敗を怖れていたら、何も始まりません。

失敗を恐れすぎた結果……、今、校内のパソコンが非常に使いにくいものになっているわけです。

今は非常事態です。アイディアを出し合い、無駄な規制をとっぱらい、どんどん動いていくことが重要でしょう。

 

反対に、主体的に動けない学校もあると思います。これは校長先生のお人柄によるものですから……。

このような学校は、先を進む学校の動きを見て、自分たちにできそうなことを取り入れてゆっくりとついていく、という方法もあるかと思います。

 

学校には、今までの常識が通用しなくなりました。

はっきり言って、学校はこれまで、出る杭が思いきり打たれる職場だったと思うのです。本当に。

そこも変えていきましょう。

出る杭、上等じゃないですか?

 

これは、新しい学校をつくるようなものだと思うのです。

この歴史的転換期に立ち合えたのは、ある意味すごいことです。

先生方は文部科学省の言いなりにならないで、本来の賢さを発揮してくださいね。

何もなくなった更地に、あなたなら、どんな学校をつくりたいですか。

どんな子どもを育てたいですか。

まずはそこからですね。

先生たち、応援しています!

全国学力・学習調査は何のためにするのか、知っていますか?

新聞などで「全国学テ」と呼ばれている、全国学力・学習状況調査(以下、全国学力調査)は、毎年4月に実施されておりましたが、2020年度は延期となりました。

今の、先が見えない状況を考えますと、それは仕方のないことかなと思います。

ただ、ネットなどを見ておりますと、中止しろ、廃止しろ、無意味だ、などの意見が散見されます。

私は全国学力調査は必要だと思っています。

そう考えるのは、中教審の委員の方たちや、全国学力調査の方向性を決める「全国的な学力調査に関する専門家会議」のメンバーの方たちに何度か話を聞く機会があり、何のためにやっているのかを知ったからです。

 

全国学力調査の目的とは何でしょう。

国は2007年から、1回あたり約50億円もかけて全国の公立小中学校のすべての小学6年生と中学3年生を対象に学力調査を行っているわけですが、それは…各県にランキングをつけて、競争意識をあおろうとしているから、ではないんですよ。

 

文部科学省のホームページを見ますと、その目的はこう書いてあります。

義務教育の機会均等とその水準の維持向上の観点から、全国的な児童生徒の学力や学習状況を把握・分析し、教育施策の成果と課題を検証し、その改善を図る。

↑こんなことが書いてあっても、わけがわかりませんよね。少なくとも私には何がいいたいのかわかりません。

シンプルな言い方をしますと、この調査の大きな目的の一つは「学力の格差を改善すること」です。

この国では、どんな家庭に生まれたか、どんな地域に生まれたかで、学力がある程度決まってしまう現実があります。もちろん、例外はありますが、このことはデータでも立証されています。

都会で、裕福な家に育った子どもは、塾に行ってどんどん賢くなりますが、そうでない環境で生まれた子どもには学校しかなく、このままでは格差は開く一方だったのです。

 

全国学力調査の正答率は、先生たちへのメッセージです。

正答率が低い問題は……。

「ここの単元のここは、子どもたちがあまりわかっていませんよ。もっと教え方を工夫してみてくださいね」

正答率が低い子どもがいたら……。

「この子は、この部分が理解できてないみたいですよ。先生が指導してあげてくださいね」

 

つまり、先生たちにとっては、「教え方を変えなくてはならない」という現実をつきつけられる結果になりますので、面倒くさいものです。

だから、先生たちの中に「中止しろ」と考える人がいるのは理解できます。そりゃそうですよね。仕事が増えますから。

 

ただ、全国学力調査の成果は確実に出ています。

まず、上位県と下位県の正答率の差が、明らかに小さくなりました。上位県の顔ぶれはほとんど変わっていませんが、下位県の教育委員会が「なんとかしなければ」と取り組んだおかげです。学力格差は少しずつ改善されているのです。

それから、先生たちの意識が変わりました。私はだいぶ長くこの仕事をしていまして、以前は、「どう指導するか」が重要であり、「我々の素晴らしい指導を受け止められない子どもはしょうがない」的な暗黙の了解があったように思います。しかし、上位県ではどの子にもしっかり理解させているわけですから、「しょうがない」では済まなくなったのです。点数ではっきりと出てしまうので、先生たちは「子どもがどう受け止めるか」を強く意識するようになったと感じています。それは各校の、校内研究の研究紀要などを見ますとわかります。表現が明らかに変わりました。

 

もちろん、問題はあります。

正答率を上げるために、過去の問題をひたすらやらせてテスト対策をしている学校があります。これはやめるべきです。勉強しなくてはいけないのは、先生たちなんですから。

「だったら、県別の平均正答率なんか公表するなよ」と思う方もいるかもしれませんが、あれは必要なことです。例えば、全国トップクラスの秋田県ではどういう指導をしているのかを知るため、他県の教育委員会が視察に行ったり、教員を派遣したりしているのです。上位県のやり方を参考にさせてもらって、多くの県が学力向上に役立ててきたからです。

2007年に全国学力調査が始まったことで刺激され(?)、独自の学力調査を実施する県も増えましたので、もう役割は終えたと主張する方もいます。

海外と比べますと、国レベルで全国一律の学力調査が実施できること自体が、すごいことなんだそうですよ。費用の面でも手間の面でも。

 

私は、できれば、毎年、悉皆(対象者全員)でやっていただきたいと思っています。県レベルの学力の格差問題は改善されてきてはいるものの、まだまだ格差はあります。県の中にも市の中にも、正答率が高い学校と低い学校があります。同じ学年でもクラスの中にも正答率が高い子どもと低い子どもがいます。

放っておけば下位層になってしまう子どもに目を向け続け、指導していくことは重要だと思うのです。

それと、全国津々浦々まで、小さな村や島であっても、教育の機会を均等にする、という意味でも必要だと思うからです。

きれいごとだと、言われてしまうかもしれませんけどね。

 

しかし、費用、準備、手間を考えますと、今後は、抽出にするとか、数年おきにするとか、やり方が変わってくるかもしれません。

 

教員が足りない、では、どうすればいいのか

教員の働き方改革に関連して、必ずでてくるのは「教員を増やすべきだ」という話です。忙しすぎるのは人の数が足りないからだと。

中教審の偉い人たちはちょっと言い方が違って、「教員定数を改善すべきだ」というのです。こちらは人数を単純に増やすのではなく、教員定数のルールを変えるということです。

いずれにせよ、学校現場は人が足りないことは確かです。

ずっとそう言われたきたのに、なぜ教員定数の問題が放置されているのか、中教審のある委員の方にお会いしたときに聞いてみました。

 

理由の一つ目は、文部科学省に言ってもしょうがないことだからです。

先生たちは、教員が足りないと、文部科学省に訴えます。

そもそも、それが違うようです。

文部科学省には、教員を増やす権限がないからです(教員を増やすにはお金がかかり、文部科学省はお金を動かすことができない)。

先生方が文部科学省の求めるように仕事を頑張ってやって、文部科学省から高く評価されて、文部科学省の人と懇意になったとしても、定数改善には直接つながっていかない、ということです。

 

では、誰に言えばいいのかというと、権限を持っているのは、内閣府財務省です。

こちらに言わなくてはいけないのですが、内閣府財務省となると、話が非常に大きくなります。国レベルで考える必要があります。

 

まず、この国は少子化が進行しています。今後、生まれてくるであろう子どもの数も試算されていますから、どんどん教員を採用していったら、将来、教員が大量に余ってしまいます。だから、そんなに簡単には増やせないわけです。

 

理由の二つ目は、「教員の定数改善」も重要な問題ではありますが、世の中にはいろいろな問題があるからです。今まで争ってきたのは、「幼児教育の無償化」や「高校の授業料の無償化」でした。

例えば、

①教員の定数改善

②幼児教育の無償化

③高校の授業料の無償化

④ICT機器を小学生に一人一台

 

どれがこの国にとって、今、一番大事だと思いますか?

私は仕事の関係で学校の先生にお会いする機会が多いので、ずっと①だと思っていました。今も思っています。

でも、もっと視点を上にあげて見た時にはどうでしょう。

内閣府は、選挙での票集めのために、幼児教育や高校を優先した」という見方もできると思いますが、この中で一番世のため人のためになる政策はどれか、と聞かれたら……考えてしまいます。どれも重要です。

限られた国の予算を配分するために、優先順位を決めるのは非常に難しいことであり、その決断をするのが内閣府、あるいは財務省です。

 

訴えるなら、内閣府財務省です。

そういう意味では、先生から政治家になって、内閣府にもぐりこみ、強く訴えるという方法があります。

あるいは、ロビー活動などをして、教員定数の改善に本気で取り組んでくれる議員を増やし、その人たちに選挙で投票する、という方法もあります。

 

いずれにせよ、文部科学省を相手に文句を言っていてもあまり意味はなく、社会を意識して行動しないと、変えていけないということでしょう。

 

こんなことを考えていると絶望的になりますが、確かに、文部科学省は教員を増やせないでしょうが、仕事を減らすことはできるはずです。

英語もプログラミングも専科教員に任せる、SDGsはやらなくてよいなど、大胆な指示をしていただきたいものです。

「働き方改革」の難しさ

2019年12月に、給特法の改正法案が国会で成立しましたので、自治体の判断で2021年4月から学校に「一年単位の変形労働時間制」が導入できるようになりました。

その関係で、今月は変形労働時間制に関する記事を書いていました。

 

書いている中で考えたのは、「働き方改革」についてです。

例えば、ラーメン屋さん。

昭和の時代、町のラーメン屋さんの中には、シンプルな業務用のスープをお湯で溶いてるような店もありました。でも、それでは、競争に勝てなかったわけです。

今、行列ができるような人気のラーメン屋さんは、スープや麺に非常にこだわって、手間暇かけて差別化を図っています。

これは、「働き方改革」的にはダメですが、お客さんは、手間暇かけた、おいしいほう

を選びますよね。

そう、世の中には競争があります。

 

誰がつくっても同じ味の、おいしくないラーメンに戻れますか?

戻れないですよね。

おいしくて、お値段が手ごろのラーメン屋さんができれば、多くの方はそちらへ行きます。味には流行がありますから、同じ店がずっと人気店でいられる保証はありません。

競争は止めることができません。そうやってこの国は成長してきました。

しかし、その結果、消費者は高いレベルのサービスを望み、労働者はそれに応えて働き過ぎてしまっているわけです。

誰もが消費者であり、労働者でもありますから、みんなが消費者として幸せを追い求める一方で、労働者としてはつらくなっています。

 

経営者は競争を避けることはできません。商売を存続させなければならないからです。

競争と無縁に生きるには……「やりがいを求めない、経営者意識をもたない労働者」になるしかないのではないでしょうか。「時給で、その時間内は働くけど、あとは知らない」的な考えになる、ということです。

(社員であってもアルバイトであってもパートであっても、やりがいを求めたり、経営者意識を持っていたりする方がいて、そういう方はもっとお客様に喜んでもらうために、売上をアップさせるためになどと考え、工夫したりします。この人たちは御本人が競争を意識しているかしていないかは別として、競争にかかわってしまっていると思うのです。)

 

学校の先生に話を戻しますと、多くの方は担任として「クラスの子供たちのために何をしてやれるか」を考えます。個人事業主的な意識を持っておられるから、創意工夫をなさいます。

結果として、クラス間、学校間の競争は生まれていました。先生も競争と無縁ではないのです。

日本の教育はそうやって支えられてきましたが……仕事が増え続け、働き過ぎになってしまったわけです。

 

働き方改革」とは、人を増やすか、仕事を減らすか、どちらかをする必要があります。

現状では、教員の数を増やすことができないそうです。

そうなると、仕事を減らす、ですが、業務改善にも限界があります。

「したほうがいい」ことがたくさんあり、仕事を減らす判断は難しいからです。

先生が働き過ぎないようにするには、学校から競争を排除し、先生は「やりがいを求めない、経営者意識をもたない労働者」になり、仕事を時間で区切る必要があるように思います。時間が来たら、帰っていい。時間内でできるところまでやれば、それでよい、と。

仮にこれをしたら、先生という仕事はものすごくつまらないものになるでしょうし、文科省のやろうとしている高度な教育は、全然できないでしょう。

(時間で区切るのは現実的ではないですが、定期的に業務改善を行うことには意味があるのかもしれません。一時的に仕事が減っても、競争原理で少したつとまた仕事が増えるでしょうが、定期的に行い続ければ……。)

 

つくづく働き方改革は難しいです。

働き過ぎは、教員にかぎらず、この国全体を苦しめていますが、どうにもなりません。

 

世の中には頭の良い方というのがいらっしゃいます。脳の処理能力が優れている方が。そういう方は生産性が高く、限られた時間内で高いパフォーマンスを発揮できるのでしょう。

でも、私のような凡人は……人よりも時間をかけ、手間をかけなければ、生活できないんですよね。残念ながら。

編集者は、つまらなくてもいいよ、なんでもいいよ、なんて言ってくれないですからね。

こんな凡人の私が働き過ぎずにこの仕事を続けていくのは、難しいことです……。